【小松洋介】新卒→経営者の最短距離。わずか2年で「起業家を育成」する地域プログラムとは

「いつかは経営者に」と大志を抱く若者にとって、既存の就職活動は本当にベストなのか。自らキャリアを切り拓ける道はないのか──? 「Venture For Japan」は、新卒・第二新卒を対象として「2年間の期間限定」で地域企業の経営者直轄ポジションに入社し、経営人材を目指すというオルタナティブな道を提示する。具体的にどんなキャリアを描けるのか、代表の小松洋介氏に話を聞いた。

小松洋介/特定非営利活動法人アスヘノキボウ代表
1982年仙台市生まれ。新卒でリクルートに入社。在籍中に東日本大震災が起き、「地元の復興に役立ちたい」という想いから退職。宮城県内全ての被災地を3ヶ月間毎日訪問し、女川町で活動することを決意。女川町復興連絡協議会にて、復興計画提言書の作成や再建・起業支援を行う。2013年4月に特定非営利活動法人アスヘノキボウを設立、2014年4月には女川町商工会職員として、まちづくり担当を兼任。2019年よりVenture For Japanを立ち上げ。

震災を機に“サラリーマン”を卒業

──小松さんがVenture For Japan(以下、VFJ)を立ち上げるまで、どんなキャリアを歩んできたのか教えてください。

僕は新卒でリクルートに入社し、働いていました。転機となったのは東日本大震災です。地元が宮城県仙台市なので、しばらくは当時の勤務地だった札幌と被災地を往復しながらボランティア活動をしていました。

そんな生活を続けるうちに、このまま札幌で会社員をしていていいのか、それとも仙台に戻って被災地支援に集中すべきか悩むようになったんですね。

最終的に、失敗してもいいから東北の復興支援をしようと決意し、会社を退職して被災地を回るようになりました。

ただ、僕は復興支援団体に所属しているわけではなく、何者でもない個人です。被災地の力になりたくても、資金力も組織力もない個人で動く私の話を聞いてくれる地域はほとんどありませんでした。被災地は有事で大変な状況でしたから個人に付き合っている時間なんてないので……。

そんなとき出会ったのが宮城県女川町でした。震災直後から、20〜40代に任せた未来のまちづくりをスタートさせていた女川町で、「一緒にやろう!」と声をかけて頂き、僕も一緒に復興へ取り組むことになったのです。

とはいえ、最初からすべての町民の皆さんに受け入れられたわけではありません。僕にできることを一つ一つ形にしながら、少しずつ結果を残したことで認められていきました。特に重宝されたのは、支援を希望する東京の大企業や団体と町の”ハブ”になったこと。

第三者である僕が間に入ることでいろんな取り組みが回るようになると、町のお困りごとが僕にたくさん集まるようになり、それらに対応すべく「NPO法人アスヘノキボウ」を立ち上げました。2013年のことです。

地域の中小企業に若手人材を送りたい

──そのNPO法人で新たにスタートさせたのが「Venture For Japan」ですね。

そうです。復興が進み始めると、次に解決すべき課題が明確になったんです。それは、地域の中小企業の人材不足問題です。

地域には素晴らしいビジョンを持ち、良い事業を展開している企業は少なくありません。しかし、事業を推進できる経営人材が圧倒的に足りていませんでした。

一方で、被災地に優秀な学生はたくさん来てくれるものの、地域の中小企業に就職する選択肢を持つ人はほとんどいません。

都会の大企業で働いてキャリアを築く選択肢以外に、地域の中小企業で働いて自分らしくキャリアを築く選択肢を当たり前にできないものか──。

https://ventureforjapan.or.jp/

そう考えていたとき見つけたのが、アメリカで展開されている「Venture For America」でした。これは、将来起業家を目指す若者向けに、地方のスタートアップや中小企業に経営者の「右腕」として2年間限定で働く機会を提供するプログラムです。

これを通じてファーストキャリアを積んだ若者たちは、2年後に飛躍していると聞き、これは若者にとっても地方にとっても非常に良い仕組みだと感じました。

その後、何度も渡米してVenture For Americaの代表に会い、日本版にアレンジした「Venture For Japan」を立ち上げたい旨を話すと、背中を押してもらえました。

新卒→経営者直下で修行する2年間を提供

──あらためて、VFJの仕組みについて教えてください。

将来起業したい、社会をより良くしたいと考える新卒や第二新卒、いわゆるZ世代を対象に、地方の優良な中小企業やベンチャー企業の経営者直下のポジションで入社する、2年間の期間限定プログラムです。

この働き方を「ステップアップ起業」と名付けました。

2年間で実力を身につけて、満了後に起業や転職、もしくはその会社に残って新規事業を立ち上げるなど、自分らしいキャリアを築いてもらいます。

──どんなポジションでの入社が多いのですか?

ポジションは企業によってさまざまですが、事例として多いのは新規事業の立ち上げ責任者や人事責任者です。

地方企業は良い人材を獲得できないため、結果的に社長が現場から経営までの全てに関わり、新規事業にまで手が回らないのが実情です。

だから新規事業の責任者として迎え入れるパターンと、良い人材を獲得するために人事責任者が欲しいというパターンが多いですね。

──社会人経験がない、もしくは少ない人でも、新規事業を立ち上げられるのでしょうか?

その人に丸投げするのではなく、経営者と一緒に事業を作っていくので、仕事はとてもハードですが可能です。経営者の隣で仕事や経営に関するスキルを身につけるので、メンタルも強化されていきますよ。

若者がポテンシャルを発揮できる場を創出

──大企業人材を地方の中小企業やスタートアップに送る取り組みは、国の施策としても始まっています。それとは違い、若者を対象にしたのはなぜでしょうか?

理由は2つあって、ひとつは大企業で長年経験を積んだ人と地域の中小企業は、カルチャーや常識、給与面でマッチングしづらいからです。

それにリソースが潤沢ではない地方企業では、スタートアップのようになんでもやる必要がありますが、その発想を持って動ける人が少ない。

それならば、経験はなくても会社の色に染まっていない若い人と一緒に頑張りたいと、多くの経営者から期待されています。

もうひとつは、若者に新しいキャリアの道を提供したかったからです。

10年前に比べると仕事の選び方は変わっていて、特にZ世代は、企業が広告費を支払って求人を掲載している就活サイトの情報を「企業都合で作られた情報では?」「良いことばかり並べられた情報では?」と疑ったり、冷めた眼でみるようになっているんですね。

また、就活の大きなシステムのなかで大量の学生が捌かれて、「自分という個人を大切されていない」「個性が消されている」「やはり会社員は歯車なんだな」と感じているという話も聞きます。

今までのように、就活サイトに情報を登録して、大企業にエントリーするのではなく、自分だからできる仕事を求める若者が圧倒的に増えている。そういう若者がポテンシャルを解放できる場を作りたいと思いました。

自分で決めて、自分で実行する

──2年間で経営人材になるために、どんな経験を積むのでしょうか。 

自分で事業を立ち上げるというプロセスの中では、たくさんの意思決定をすることになります。自分で考えて、自分で物事を進めるので、頭と心が鍛えられる。

とはいえ、ビジネスにおける意思決定には多くの責任が伴います。VFJの1期生には「意思決定するのが怖くなった」と言う人もいました。

彼はVFJを通じて、地方のある中堅企業に新規事業責任者として入社しました。

最初の3ヶ月は、他のルートで入社した同期たちが通常の新入社員研修を受けているなかで、「自分は最初から責任者だ」という高揚感を持って仕事をしていました。

でも、自分で意思決定をしないと事業が前に進まないこと、意思決定をして実際にヒト・モノ・カネが動いて事業が加速すると簡単には引き返せないということプレッシャーを感じるようになり、意思決定に恐怖を感じるようになったそうです。

それでも最終的には自らに向き合い、怖さやプレッシャーを乗り越えて、見事に新規事業を立ち上げきるところまでこぎつけた。新卒でこういった経験はなかなかできません。

──自分で決めて実行するから責任を伴う。その経験が経営人材につながるのですね。

そうです。また、仮に自分の意思決定に社長からのOKが出ても、現場の社員の皆さんが賛同してくれないこともあります。現場をどう説得して動いてもらうかも考える必要があると考えれば、ある意味でゼロイチの起業より難しいかもしれません。

──たしかに、既存事業に携わる人たちを動かすのは、人間力も求められます。ちなみに、入社するのはどんな規模・業種の企業なのでしょうか。

規模的には家族経営の企業〜年商1000億円規模の上場企業まで幅広いですが、ボリュームゾーンは社員数が50〜100人前後の成長企業、もしくは社長が代替わりした中堅企業です。

業種もさまざまで、たとえば震災で工場を建て直し、世界最先端の技術を導入した水産加工会社や、自動車学校やタクシー会社、スーパーなど複数企業を経営している会社、観光事業者など幅広いですね。

いずれにしても、地域で50〜100人規模の成長企業は存在感がありますし、そこで責任あるポジションに就く以上は、誰も甘やかしてくれません。「任されて強くなる」ための稀有な環境です。

2年間で見えてくる、次のキャリア

──候補者の条件はありますか?

大事にしているのは、2年間のハードな期間を乗り越えるためにも「将来どうありたいか」をある程度自分の中に持っていることと、挑戦意欲が高いこと。それさえあれば、挑戦したい若者にチャンスを提供したいと考えています。

加えてZ世代はSDGsネイティブでもあるので、彼ら彼女らの感覚で会社を見ると、会社の中にも社会課題があることに気づくんですよね。例えば女性活躍であったり、事業における環境への影響であったり……。

それらも社長に伝えていくことで、組織も事業も良くすることにも期待しています。

──内部変革のきっかけにもなるのですね。卒業後はどのような道に進んでいるのでしょうか?

VFJをスタートしたのは2019年からで、現在までに1期生の2人が卒業しています。2人とも所定の2年間が経過した2021年4月時点で、その会社に残る決断をしました。それぞれ理由は異なりますが、目的はハッキリしています。

1人は2年間で新規事業を立ち上げたものの、採算的には赤字フェーズだったため、黒字までやり切るために残ることを決めました。2021年7月に黒字化を達成したのち、同年11月に退職しています。

彼はもともと卒業後に起業することを志望していましたが、VFJでの2年間の経験を通じて「自分はトップではなく、トップを支えるCxOに興味があることに気がついた」と、現在はその方向で次のキャリアを検討している最中です。

もう1人は、卒業後に起業しようと思っていた事業アイデアを社長にプレゼンしたところ、「その事業は会社の中でやった方が良くないか?」と誘われたんですね。

彼にとって起業は手段でしかないので、ヒト・カネ・モノが早く集まる社内起業であれば、最短距離で社会課題解決が実現できると、会社に残って新規事業を立ち上げています。

この仕組みを全国に。各地で起業家を輩出

──地方の中堅企業に大企業からの出向や副業で関わるケースも増えてきています。それらとVFJの決定的な違いは何でしょうか。 

VFJは「片道切符」で実際に就職するので、「いつか戻る」という出向や部分的に関わる副業とは異なり、逃げ場がないことです。事業責任を持つ当事者になり、さらに2年間で結果を出すという目標も持つので、本気度や真剣度は比にならないと思います。

──相当なリスクテイクをして挑むのですね。

まさにその通りで、こういう挑戦のしがいがある仕組みを作らないと、地方に成長意欲の高い優秀な若い人材は来てくれません。

実際、最初の1期生の採用数は2名でしたが、今年入社した4期生の採用数は12人まで増えました。来年は30人、その次は100人にまで増やす予定です。

もともと挑戦意欲のある若者たちが集まってくれていますが、なかには2年の期間を待たずに、1年で卒業して起業する人や、就職した会社が新たに立ち上げる子会社社長になって新規事業を立ち上げている人も登場するなど、いろんな事例が出始めています。

それに加えて、最近では大企業から「卒業生を紹介してほしい」と言われることが増えてきています。本人の意向次第では、卒業後にそういった道も選べる可能性はありますね。

──小松さんが成し遂げたいことを教えてください。

全国にVFJを広げて、全国各地で若者が挑戦できる環境を作ること。そして、卒業後に都心部ではなく、各地域で起業する人を増やしたいと思っています。

先行しているアメリカでも、卒業後にわざわざシリコンバレーに行って起業するのではなく、VFAを通じて2年間を過ごし、人脈を含めてビジネス資産を培った場所で起業するケースがほとんどなんです。

日本でも同じように、各地域で起業家が生まれるエコシステムを作り、ユニコーンを作る1人ではなく、自ら動き出せる1000人を全国で輩出したい。それが実現すれば、日本の未来はより良いものになると思っています。

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構成:田村朋美
撮影:岡村大輔
取材・編集:呉琢磨