【リクルート】顧客からの引き抜き、起業。“元リク”最強説

特定の企業から輩出された優秀な人材とそのネットワークを「◯◯マフィア」と呼ぶ。マフィアたちはどのような経験を積んで、キャリアを構築しているのか。 今回は、人材輩出企業として有名なリクルートマフィアが集結。不動産営業のDXを目指すhomie代表の村上靖知氏と、『もしわたしが「株式会社流山市」の人事部長だったら』の著者でWaCreation代表の手塚純子氏、そして4000人以上のキャリアデザインを支援したWiLL Institute代表の熊谷智宏氏だ。 リクルート愛あふれる3人に、リクルートで学んだこと、今に生きていることを語っていただいた。

入社のきっかけは、リクルートの戦略的な採用手法!?

──皆さんは新卒でリクルートに入社していますが、まずはその理由を教えてください。

村上 僕はもともと起業したいと思っていたので、自分で稼げる力をつけるためにリクルートを選びました。

homie株式会社 Co-Founder/CEO 代表取締役 村上靖知
同志社大学を卒業後、リクルートに入社し、SUUMOの企画営業職に従事。2012年クライアント先の不動産会社に経営戦略室長として参画。経営戦略の立案、新規事業開発、組織改革等に携わる。2017年エイチプラスを創業し、不動産テック企業の事業立ち上げ等を行い、2019年に世结(杭州)装飾设计有限公司とhomieを共同創業。

手塚 私は就活中、リクルートとトヨタ自動車を受けていました。トヨタの最終面接で「トヨタの何が良かったのか」と聞かれ、「採用のプロセスと採用メッセージが良かった」と答えると「それを設計したのはリクルートの営業だよ」と言われたんですね。

そのリクルートの営業の人を紹介してもらって話を聞くと、「トヨタは良い会社だから行くべき。でも、トヨタを良くしたいの? 社会を良くしたいの?」と聞かれて。

村上 リクルートの人、言いそう(笑)!

株式会社WaCreation 代表取締役社長 手塚純子
神戸大学を卒業後リクルートに入社。営業・人事・企画を経験。ビジョン策定浸透・採用・人材育成を強みとする。第二子の育休中に起業。2017年より流山市子ども・子育て会議委員、2019年より国立大学法人千葉大学非常勤講師、2020年より千葉県立特別支援学校流山高等学園学校運営協議会委員、2020年より柏市教育福祉会館運営支援コーディネーターを務める。

手塚 なんだかすごい問いを投げかけられたなと思った帰り道、目に飛び込んだのはリクルートの自社ビルに特大パネルで飾られていた「Follow Your Heart」のスローガン。

「自分の声を聞いて自分の人生を決める」のは本当に素敵なことだし、その考えの下で働けるなら面白いかもしれないと思って、最終的にはリクルートに決めました。

それに、当時は結婚したら会社を辞めて専業主婦になるつもりだったので、「3年で退職」しようと思っている学生もOKだとしていたリクルートは好都合でした(笑)。

村上 実は僕も、第一希望のコンサルティング会社から内定をもらったので、リクルートの最終面接を断ったんです。そしたら急に内定が出て(笑)。手塚さんと同じような口説き文句が心に響いて、リクルートに入社しました。

熊谷 採用すると決めたときの戦略と気合いがすごいよね。

WiLL Institute株式会社 代表取締役 熊谷智宏
横浜国立大学卒業後、リクルートに入社。その後、ジャパンビシネスラボに参画。常務取締役兼キャリアデザインスクール我究館館長として12年間で4000人の受講生に講義・コーチング行う。また、企業へのコンサルティングや講演会、研修を通して5万人にキャリアデザインを提供。著書に『絶対内定』シリーズ。累計100万部。2021年WiLL Instituteを設立。

僕も最終面接で「うちでやりたいことはあるか」と聞かれて、生意気にも「ないです」と答えたので、さすがに落ちたかなと思っていたけど、面接が終わるとすぐに「ちょっと来られる?」と電話がかかってきたんです。

行くと過去の企画書が格納されている部屋に通されて、「何時間いてもいいから、ここにある企画書を見て、やりたいことが見つかったらうちに来て欲しい」と言われて。

村上 小部屋に閉じ込められた(笑)。

熊谷 そう(笑)。社外秘の企画書を入社するかもわからない学生に見せていいのかと驚いたし、「入社します」と言ったら強くハグされて、それも驚きました。

手塚 演出しますよね。私も「リクルートに決めます」と言った瞬間、10人くらいが拍手しながら会議室に集まってきて、「一緒に頑張ろうね」と言われて感動しました。人によって演出を変えていたのは本当にすごいなと思います。

自分の人生は自分で決める、「Follow Your Heart」

──熊谷さんは、もともと起業を視野に入れてリクルートに入社したのですか?

熊谷 いえ、起業したいとは全く思っていませんでした。

僕の家系は医者が多く、安定志向の英才教育を受けて育ったのですが、その考え方にはずっとモヤモヤしていたんです。家族の期待には応えたいけれど、それを自分の人生として選びたくない、なんとも言えない苦しさがあった。

だから、高校は進学校に進んだもののずっと赤点だし、口にピアスは刺さっているし(笑)、自分でもどうしたらいいか、何をしたらいいのかわからない状態が続いていたんですね。

でも、大学時代に「100万円を作って、カンボジアに学校を建てに行く」という友人がいて、「これだ」と思ったんです。自分で選ぶ人生は夢があるな、と。そのタイミングで出会ったのが、リクルートの「Follow Your Heart」のスローガンでした。

手塚 熊谷さんも、「Follow Your Heart」に心を射抜かれた一人だったんですね。

熊谷 そう。めちゃくちゃいい言葉だし、リクルートはゼクシィやリクナビ、スーモなど、人生の重要な分岐点に関わるメディアを持っていて、これは最高の会社なのではないか。 ここで働けば、自分が誰を応援したいのか、やりたいことが見えてくるかもしれないと思いましたね。

「圧倒的当事者意識」が、未来を拓く

──リクルートでは、具体的にどんな経験を積みましたか?

熊谷 僕はスーモ事業部で約3年働いたのですが、最初の半年は江戸川区内の不動産会社にひたすら飛び込み営業をしていました。

村上 その1年後に僕が入社して、同じスーモ事業部に配属され、江戸川区の不動産会社に飛び込んでいます(笑)。

熊谷 あれは本当に大変だよね。歩きすぎでズボンは破れるし、革靴も壊れるし。でも少しずつ成果が出るようになって、最初に担当させてもらった大手クライアントが、後に村上が転職することになるハウスプラザさん。

その後、いくつかの大手クライアントを担当するものの、リーマンショックの影響を受けて、帰れない・眠れない日々が続き……という暗黒時代があったのですが(笑)、リクルートの営業の面白いところは広告枠を売るのではなく、何にでも介在すること。

たとえば、社長が従業員の本音を聞けないという課題があったクライアントには、僕が全社員を1人ずつ喫茶店に呼んで話を聞き、課題を抽出して社長にプレゼンしたこともありました。

リクルートのカルチャー「圧倒的当事者意識」が染み込んでいるから、とにかく経営にも人事にも入り込むんです。

──村上さんは、その“圧倒的当事者意識”で入り込みすぎてクライアントに転職した。

村上 そうです。熊谷さんから担当を引き継いだ後、ズブズブの関係になりました(笑)。

クライアントの役員陣から、広告宣伝費は売り上げを伸ばせばいくらでも増やせるよと言われて、本当に売り上げを伸ばしたし、社内の人よりも会社の課題が見えるようになったんです。

すると、「経営戦略室長として入社して欲しい」と熱烈なオファーをいただくようになって、リクルートは5年で卒業しました。

手塚 理想のセカンドキャリアだよね。私は人事で入社のはずだったのに、配属されたのは当時は知らなかったカーセンサーの事業部です。しかも、「2年後にこの事業部は推進室に降格する可能性があるけど頑張って」と言われたんです。

熊谷 えっ、そんなことが。

手塚 人事に配属されるという話を聞いていたし、車に詳しいわけでもない。6年連続業績未達成という事業部に営業として配属されるなんて「絶対に辞める」と怒り狂っていました(笑)。でも、上司からはトップ営業になって文句を言えと言われたので、2年後トップになりました。

──すごい実行力ですね。

手塚 いや、事業部の業績は下がり続けていたから、1000人近いメンバーほぼ全員のやる気がなかったように感じていたんです。その状態で1位になっても何も嬉しくなかった。

村上 1位になったのに虚しいって、泣いていたよね。

手塚 そう。本当に虚しかった。だから、全国の営業を元気にできるであろう人事部に異動希望を出し、「事業部のビジョンを作り直したい」「導入研修を立ち上げたい」「営業研修と連動した新人研修を用意したい」と言ったんです。すると、「じゃあやってよ」と新しい業務が始まりました(笑)

人事として取り組み始めると、みんなのやる気が持ち直していくのを肌で感じられると同時に、やる気が売上に反映されていくのは面白かったですね。

ここから人事にどハマりして、戦略浸透、表彰・インセンティブ制度、事業部内広報など、すべてを連動させるべく作り直しました。 結局、3年で辞めるつもりで入社しましたが、カーセンサー事業部の人事に4年従事後、HRに異動。企業の人事部に対するコンサル営業や企画に携わり、合計12年間働きました。

「よく知る、好きになる、諦めない」

──リクルートのカルチャーから学んだことを教えてください。

村上 僕は、「よく知る、好きになる、諦めない」です。

クライアントのことをよく知ったら好きになって、好きになったら諦めずにとことんやる。それを実践した結果が今につながっています。

もともと不動産には興味がなく、一番配属されたくない部署だったのですが(笑)、業界をよく知った結果、好きになってのめり込みました。

その結果、クライアント先に経営戦略室長として入社することになり、そこで経営戦略立案や組織改革などに携わったことで、リクルートでは見えなかった不動産業界の実業の課題が見えてきた。

それが、「不動産営業DXの支援」を提供するhomieの創業につながりました。

今までずっと不動産領域でビジネスをしてきましたが、これは全く思い描いていなかったキャリアですし、自分が不動産業界の役に立てるなんて、社会人になった当時は思ってもいなかったです。

圧倒的な当事者意識でのめり込むと、必ず次のブレイクスルーが訪れるし、納得のいくキャリアにつながることを、身をもって体験しましたね。

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」

──熊谷さんは好きなカルチャーはありますか?

熊谷 僕が一番好きなのは、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」カルチャー。

手塚・村上 めっちゃわかります(笑)。

熊谷 みんな好きだよね。リクルートは手を挙げると、驚くほど何でもやらせてくれるから、入社1年目で「もっと大きなクライアントを担当させてくれ」と生意気なことを言っても担当させてもらえました。

入社2年目になると、これまた生意気なことに「僕がGM(グループマネージャー)じゃないのはおかしい。説明して欲しい」と、当時住宅カンパニーのトップだった峰岸さんにメールを送ったんですね。

すると30分後、峰岸さんから「たしかに、昔のリクルートは2年目でGMは当たり前だった。それは反省する。だから、次の4つの要件を満たしたらすぐGMにするから報告して欲しい」と返信が来ました。

4つの要件とは、

圧倒的な成果を出すこと

圧倒的な成果を出し続けること

なぜ圧倒的な成果を出しているか説明できること

圧倒的な成果を出せる人を育てること

ぐうの音も出なかったし、入社2年目の生意気な若者からのメールに対して、カンパニー長が30分後に返信するなんて、やっぱりいい会社だなと思いましたね。だから僕は頑張って成果を出し、トップ営業になりました。

リクルートが教えてくれたのは、そうやって尖ったり、手を挙げたり、挑戦したりすることでしか得られない感動や楽しさです。これを知ると挑戦し続けたくなるから、無駄にリスクを取るようになりました。

手塚 たしかに、みんな無駄にリスクを取りますね(笑)。「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」は本当に浸透していたし、私も何度モチベートされたかわからないです。

骨の髄まで染み込んだリクルートカルチャー

──熊谷さんの、リクルートを卒業後のキャリアを教えてください。

熊谷 キャリアデザインスクールの責任者として、12年間で合計4000人以上の学生や若手社会人にキャリアデザインやコーチングをしていました。

企業向けのキャリアデザイン研修もあり、ある上場企業では150人の管理職に対して研修を実施後、150人全員との1on1を行い、グループ会社を含めた経営課題を抽出して経営陣にプレゼンしたことも。

これはリクルート時代、クライアントに対して僕がやっていたこととまったく同じ。圧倒的当事者意識は場所が変わっても僕の基礎だから、膨大な工数も苦になりませんでした。

──そもそも、転職した理由は何だったのでしょうか。

熊谷 リクルートに在籍中、僕は受講生としてそのスクールに通っていて、社長から「うちに来て一緒にやらないか」と口説かれたんです。

社長のことは本当に心から尊敬していたけれど、リクルートも大好きだったから踏ん切りがつかなかった。でも社長からの口説きが2年目に突入し、「末期癌で時間がない」と言われたことをきっかけに、リクルートを卒業。

その2年後に彼を看取って僕がスクールの責任者になり、今年の6月までの10年間を、彼と彼の残した想いに捧げました。

手塚 リクルートは熊谷さんに残ってもらって、経営層に引き上げたかったはず。引き止められなかった人事は悔しかったと思うけれど、それ以上に尊敬する人が現れた、ということですね。

村上 熊谷さんの意思が固かったのは僕も覚えています。

──その後、2021年に入って起業された。

熊谷 そうです。今年で40歳ということもあり、新しい挑戦をしたい衝動が止められなくなったんです。10年間、スクールの責任者として全力投球してきたから、次の10年は別のことでフルスイングしたい、と。

6月に辞めて7月に起業したばかりなのですが、ありがたいことに面白いプロジェクトがいくつか始まろうとしていて、ワクワクしていますよ。

──まさに、自らが機会を創り出していますね。

熊谷 その通りですね(笑)。リクルートのカルチャーは骨の髄まで染み付いていますから。仕事の仕方や考え方、サービス提供の瞬間まで全部リクルートが影響しています。

2回目の育休中に事業可能性を検証し、起業

──手塚さんもリクルートで12年働いた後に起業されていますが、どういった経緯だったのでしょうか。

手塚 私はもともと3年で会社を辞めようと思っていたくらいなので、起業には興味がありませんでした。

村上 でも育休中に起業したよね?

手塚 そう。私は東京で子育てができるイメージがわかなくて、自分の暮らしのベストが叶う場所を探したら、「母になるなら、流山市。」というスローガンを掲げた千葉県流山市を見つけたんですね。

ただ、行政は企業と違って地域に住む人を「採用」することはできません。転入も転出もコントロールできないですよね。

だから、「流山市に住む=株式会社流山市に就職する」と考えて、私はこの街の人事部長になったつもりで、何をどうすれば住む人にとっていい街にできるか、挑戦してみたいと思ったんです。

それを第一子の育休中に地域活動に参加して検証した結果、すごく面白いけれど全くお金にならなかった。

結局、復職したのですが、すぐに2人目を妊娠。子育てをしながら東京と流山を往復するのは大変だったので、流山でキャリアデザインを軸にした事業ができないかを検証しようと、第二子の育休中に、自分で地域活動を始めたんです。

すると、行政からシティプロモーション企画のメンバーにならないかというお誘いがありました。「予算はないので金銭報酬はないけれど、お金の土台となる信用や人脈、メディアへの露出機会などは提供できる」と。

しかも、活動を始めたばかりの無名な私に、ビジネスにつながる話がいくつか出てきたので、育休中に独立を決意しました。

その後、大学での非常勤講師の肩書をもらったことをきっかけに、大企業から仕事の依頼がくるようになり、学生、専業主婦、育休中の方、定年後の方などへのキャリアデザインへと広がりました。

これから実現させたいのは、地域で100万円のローカルビジネスを100個、100人で作ること。そのためのキャリアデザインやマネジメントで話している内容は、全部リクルートで学んだことです。

自分のやりたいことをやる人が、かっこいい

──リクルート出身の起業家はとても多いですが、それもカルチャーが影響しているのでしょうか?

村上 そうだと思います。僕は、リクルートのカルチャー「圧倒的当事者意識」を持ち続けた結果、圧倒的な当事者になりましたからね。

突き詰めていくと出会いがあるし、「自分は今、これをすべきだ」というものが見えてくる。それを実現する手段として、起業を選ぶ人が多いのだと思います。

熊谷 リクルート出身者に起業家がやたらと多いから、そもそも起業のハードルがものすごく低いというのもありますね。しかも、世の中の“不”を解決したい人が多いので、IPOを目指すような起業以外も肯定されるんです。

大きなビジネスならすごいのではなくて、自分がやりたいことをやっているのがかっこいい、と。

手塚 中途半端に儲けるための起業だと、ダサいと思われますよね。思い切りやってみて、失敗したら出戻りすればいいと言われるし、実際に出戻り組も多いから、より一層起業のハードルを下げているのだと思います。

──出戻りが多いのは素晴らしいですね。

手塚 リクルートは卒業する人に対して「おめでとう」と送り出してくれる文化があるんです。何かチャンスがあれば戻ってきて欲しいと言ってくれるし、本人もまたいつか一緒に仕事がしたいと思える。

すごくいい関係性を保ったまま、次の挑戦ができるから、それもいいキャリアを手繰り寄せるのだと思います。

村上 僕のところには、いまだに現役のスーモの営業がアドバイスを聞きにきますよ。一緒に働いた時期はなくても、リクルートですと言われたら断れません(笑)。リクルートには卒業後もずっと応援してもらっているから、現役の人たちにもできることはやりたい。

そうやって、若手にも僕らの超巨大な元リク・ネットワークが広がって、キャリアのチャンスも広がるのかもしれませんね。

熊谷 僕はリクルートの社内報「かもめ」をまだ受け取っていますからね(笑)。社外秘じゃないから部外者でも読めるし、読むとモチベーションが上がるんです。それと、退職時にもらったボールペンと手紙は今でも大切にしていて、重要な局面で使っています。

村上 熊谷さんは本当にリクルートが好きですね。

熊谷 熱狂的に好きだと思う。起業するときも、転職のオプションがあるならリクルートだと思っていました。今回は起業のモチベーションの方が強かっただけ。

手塚 そういう人は、元リクにはたくさんいますよね。最初は3年で辞めるつもりだったけど、今はファーストキャリアにリクルートを選んで良かったと思っています。

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編集・執筆:田村朋美
撮影:小池大介