40歳を超えてドラッカー・スクールへ留学。無自覚に狭めていた可能性を広げた「セルフマネジメント」との出会い

文科省の調査(2020年)によると社会人経験のある大卒者の89%が「学び直したい」という意識を持っているという。しかし高い意欲があろうとも、キャリアを中断して学校へ通うことは簡単ではない。Transform共同創業者の稲墻 聡一郎氏はこの困難なハードルを乗り越え、40歳にしてアメリカのドラッカー・スクールへ留学。そこで「セルフマネジメント」に出会い、日本でこの考えを広めていきたいと起業を決意した。セルフマネジメントとは自分を変えるためのスキルであり、自分が望む結果を実現するための武器になるという。どういうことだろうか?

自分をマネジメントすることが「マネジメントの第一歩」である

 ──Transformが提供している「セルフマネジメントプログラム」とはどういったものなのでしょうか?

Transformはジェレミー・ハンター博士、ドラッカー・スクール卒業生である藤田勝利、そして私の3名で立ち上げました。ジェレミーはドラッカー・スクールで「セルフマネジメント」「エクゼクティブ・マインド」などの授業を受け持ち、最優秀教授賞を何度も受賞している名物教授です。彼の授業に感銘を受けた私が発起人となり、「セルフマネジメント」のスキルを通じて自ら選択肢を広げられる人を増やすためのプログラムを日本で展開しています。

セルフマネジメントの目的は「結果を変えること」に尽きます。結果を変えるためには、行動を変える必要がある。行動を変えるためには、これまでとは違う選択肢を生み出す必要がある。そこに至るために自分を客観視し、道筋を変革する方法が「セルフマネジメント」です。Transformのプログラムはドラッカー・スクールの授業が元になっており、それらを実践的に身につけてもらうためのものです。

Transform 共同創業者 稲墻 聡一郎氏

 ──マネジメントというと仕事のシーンを思い浮かべますが、ビジネススキルを身につけるためのプログラムではないのですか?

プログラムに参加される人は大企業やスタートアップ、NPOの経営に関わる方やマネジメント層の方々が中心ですが、セルフマネジメントは仕事以外にも幅広く役に立つスキルです。例えば、育児休業から復帰前の女性の方や人生のトランジションを経験している人など、ライフステージの過渡期にある方もいらっしゃいます。

ビジネススキルという面では、個人のパフォーマンスをあげることはもちろん、組織をマネジメントする上での基礎力を養うことができます。マネジメントの父と呼ばれるピーター・ドラッカーは「他者をマネジメントするためには、まず自分をマネジメントすることだ」と主張しています。マネジメントを「他者を管理・統制するための技術」と捉えている方も多いですが、その本質は「自分が置かれている状況に適切に対処すること」なんです。つまりは、他者ではなく、自分をマネジメントすることが根本にある。当然、その考えは組織のマネジメントにも通底します。

Transform共同創業者のジェレミー・ハンター博士はピーター・ドラッカーのマネジメント理論や人間発達、心理学、神経科学をベースにセルフマネジメント理論を構築。TED Talkに出演するなど、幅広くセルフマネジメントの普及に取り組む。

 ──具体的にはどんな内容なのでしょうか?

具体的には、自分の選択肢がどう作られているのか、どのように無意識に自分に制限をかけてきたのか、どうやって可能性を広げていくのかを客観視し、結果を具体的に変えていくためのプログラムを提供しています。ほとんどの人は「思考」が選択肢を作り自分で意思決定していると思い込んでいますが、間違いなんです。まずは、それを認識することからスタートします。

 ──私も自分の思考によってさまざまな決断をするものだと考えていました。

「思考」が選択の中心にあるのは間違いありません。しかし、実は、「身体」「感情」という2つの要素が「思考」に大きな影響を与えています。例えばイライラしている時、誰かに強く当たってしまったことは誰でもあると思います。疲れている時に仕事の判断を誤ってしまったという経験も多くの人が持っているのではないでしょうか。

 ──それは、確かに経験があります。

これらの判断が「思考」のみによって行われているわけではないと認識することが、選択肢をひろげていくための第一歩です。自分の身体の状態や感情に気づくことができれば、「冷静になろう」と一呼吸置くこともできますし、「今やっていることから離れてリフレッシュしよう」などの選択もできる。これらは自分の状態に気づき選択肢が広がった結果です。気づかなければ、いつもと同じ結果を繰り返します。

 ──なるほど。その論理はわかりますが、どのようにして養うことができるのでしょうか?

プログラムの中では、「ツールや理論の紹介」「問いかけ」「参加者同士の会話」「日常での実践」を軸に、セッションの中だけでなく仕事や生活の中で実践を繰り返してもらいます。自分がイライラするのはどういう時か、何をきっかけにモチベーションが下がってしまうのか。その時にどんな身体の反応があるのか。どんなときに心地よく感じ、パフォーマンスがあがるのか。逆にどんなときにパフォーマンスが下がるのか。自分自身の状態がどう仕事や他者との関係性に影響を与えているのか。これらの情報が選択肢を広げ、より良い結果に近づけることにつながります。

セルフマネジメントは「リラックスすること」や「精神論」のようなものではなく、あくまで適切な判断を下して望む結果に近づけるための「スキル」。なので、筋トレのように繰り返し実践することで、誰でも身につけることが可能なんです。

ドラッカー・スクールの教授を巻き込み日本で会社設立。全く新しい働き方への変化

 ──稲墻さんはどのような経緯でTransformを立ち上げたのでしょうか?

私は40歳を過ぎてから、ロサンゼルス近郊にあるClaremont Collegesの中にある大学院、ドラッカー・スクールに留学をしました。

その2年間の修士課程は「エクゼクティブマネジメントプログラム」というもので、5年以上の経営経験を求められるものでした。ネイティブかつ経営者しかいないプログラムで、クラスメイトはみな仕事の後に授業に参加するような環境で。英語が苦手だった私は正直、最初の半年は授業についていくのがやっとでした。

そのプログラムでセルフマネジメントの授業を受け、衝撃を受けたんです。この授業がまさにTransformのプログラムの土台なのですが、自分が無自覚に持っていた「あたり前」をとぎほぐし、新たな可能性を広げてくれたんです。私はそれまで24時間365日、クライアントファーストの生活をしていて、1秒でも早くクライアントにレスポンスをすることが成功への唯一の鍵だと信じていたんです。しかし、それは自分自身のマネジメントを放棄していることに過ぎませんでした。

 ──どういうことでしょうか?

相手に合わせて動くことが当たり前になると、「自分が何を望んでいるのか」に意識を向けエネルギーを注ぐ余裕がなくなり、「とにかく来た仕事を反射的にこなす」ことに終始することになります。すると自分自身に余白がなくなり、人の話も聞けなくなるし、疲れるし、アイデアもわかず、新しいこともできなくなる。さらによくないのは、「自分が何をやりたいのか」が自分から失われていくことです。それでは長期的にモチベーションを維持し、前向きで安定したパフォーマンスを発揮することはできないし、クライアントに良いエネルギーを注げない。クライアントに貢献するためには、むしろ、まず自分をマネジメントすることが重要だと気付かされたんです。

東京のターミナル駅を歩いていると、スーツを来たサラリーマンが疲れた顔でスマホを見ながら改札に飲み込まれていく光景を目にしますよね。以前の私もその一員でした。彼らはきっと、決まった時間に決まった仕事をこなす、そんな生活が当たり前だと思っている。しかし、私がそうであったように、セルフマネジメントという方法を身につければ、もっと余白を持って仕事をし、違う選択肢を自分で作り、前を向いて生きていくことが出来るのではないかと思ったんです。

そこで、セルフマネジメントの授業を担当していたジェレミーに声をかけました。このプログラムを日本でも展開したいから、何か一緒にやろうと。

 ──ジェレミーは生徒からの提案に驚いたのではないですか。

驚くというより、最初は怪しんでいたと思います(笑)。ただ、自分の体験や変化を何度も話し、日本で起きていることを伝え、本気で一緒にやりたいという想いを真摯に伝えていくうちに、「こいつは本気なんだ」と理解してくれたようです。それからは定期的に彼の自宅を訪れ、議論を重ねていきました。

このようにして在学中に1年かけてプランを具体化し、留学を終え帰国した2017年にプログラムをスタートさせました。参加者からの反応も良く、ジェレミーも私も手応えを感じたので、2018年に法人化。こうしてTransformは立ち上がっていきました。

組織の崩壊や人の離脱。今までの「当たり前」に疑問を感じ、キャリアのリセットを決意

 ──40代での留学はキャリア上の大きな決断かと思います。そもそも、稲墻さんはなぜ留学を?

私は留学前に幾つかのキャリアを経験しています。最初のキャリアはIT系の大企業で、法人営業を経験した後に教育/人材育成部門に異動しました。その後人材開発系のベンチャー設立に携わり、そこで事業や組織の浮き沈みを経験しました。売上や組織の拡大から上場に向けて準備を始め、その過程で組織の歯車が狂い始めたんです。経営方針が事業の拡大ばかりを優先するようになり、組織の共有ビジョンが失われ、成長は鈍化し組織が停滞したんです。人も離脱し疲弊していました。

私自身は4年ほど現場を統括したのちに取締役になりました。経営の立場となりそこから4年ほどかけて事業や組織の再生に取り組んだのですが、「これは本当に自分がやりたかったことだろうか?」と疑問が湧いてきたんです。そして、自分が役割を果たせたと思うタイミングで、ベンチャーを離れることにしました。36歳の時です。

その後は独立して人材開発や組織開発に携っていましたが、「この先20年以上、今と同じように働くことができるのだろうか?そもそも本当にこの働き方で良いのだろうか?」という不安に駆られたんです。世界は大きく変わっているし、この先体力が衰えていく中で同じ働き方を続けることは難しい。今の延長線上で働いていても大きな成長は望めないのではないかと。

そもそも、人や組織をよくするための仕事に関わっていながら「リーダーシップとは何か?」「マネジメントとは何か?」という問いに明確に答えられない自分もいる。このままでは成長が頭打ちになると感じて、大学院(ビジネススクール)への留学を決めました。

 ──なぜ、数あるビジネススクールの中でもドラッカースクールを選んだのでしょうか?

国内で行きたいと思える大学院はありませんでしたし、今までの生き方をリセットする必要があると思っていました。ドメスティックな環境で育った自分にとって、自分がマイノリティであり多様性の中に身を置くには海外の大学院しかないと思いました。幾つかのビジネススクールを検討しましたが、ドラッカースクールはとてもオープンで、「マネジメントやリーダーシップとはそもそも何か?」というような、より良い状態を作るために答えのないものを探求し続けるという方針に惹かれました。

 ──海外留学によってキャリアが途切れることに不安はなかったのでしょうか?

今までと同じ働き方でいることの方がリスクが高いと感じたんです。自分が将来どうなりたいかと考えた時、日本を離れ留学しない選択肢はなかったですね。周囲からは「今更行っても意味ないんじゃない?」と言われることもありましたが、周囲の声は関係ありませんました。一度仕事も人生もリセットし、学び直す。不安がないといったら嘘になりますが、そんな時間が今の自分には絶対必要だという確信がありました。

他人ではなく、自分の身体と感情の声を聞くことの重要性

──セルフマネジメントに向き合い続けることで、稲墻さん自身の働き方はどのように変わりましたか?

自分がやりたいことよりもタスクの処理を優先するように働いていたのですが、それが180度変わりましたね。自分をいい状態に保つことを最優先に働くようになりました。自分が変化したことで、クライアントとの関係性も良くなっていったと実感しています。

何より変わったのは、やりたい仕事に集中でき、「やりたいことをやっている」と自信を持って言えるようになったことかもしれません。自分が本当にやりたいのか?本当に成長につながるかということを判断基準にすることで、本当に求めている仕事に出会えるようになりました。例えば大きな予算の仕事があったとしても、自分たちがやる意味を見出せなければお断りすることもあります。それは留学前の自分には持てない選択肢でした。

 ──自分が本当に望むキャリアを実現するために必要なことはなんでしょうか?

セルフマネジメントですと言いたいところですが、それでは宣伝になってしまいますね(笑)

冗談はさておき、日本の今の働き方を「あたり前」と信じてどっぷり浸かり、自分自身に意識を向ける時間が確保できないことは問題だと思います。なぜなら、そうした状況に身を置き続けると私のように思考する力が失われてしまい、与えられた仕事をこなすことしか出来なくなるからです。それでは、例えスキルが身についたとしても「やりたいこと」からは遠のいてしまいます。

やりたいことって、頭で考えて出すものではなく、感情や身体の領域だと思うんです。「これは楽しい、ワクワクする、やりたい!」とか、「やりたくないな・・やろうとすると身体が重いな」とか。なので、まずは自分自身に意識を向け、身体や心の声に耳を傾けること。その上で、いつもと違う行動をしてみること。新しい場所に行き、人と会い、違う体験をする。そういった小さな変化を繰り返して自分のなかの「やりたいこと、楽しく感じること」を増やしていく。それが大事なんじゃないかと思います。

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執筆:高橋直貴
撮影:玉村敬太