【日本マイクロソフト】ローカルもグローバルもわかるマフィアが変える、日本の未来

特定の企業から輩出された優秀な人材とそのネットワークを「◯◯マフィア」と呼ぶ。マフィアたちはどのような経験を積んで、キャリアを構築しているのか。 今回は、日本マイクロソフトマフィアが集結。人々をハッピーにするためのお手伝いをするために、9社の顧問と2校の大学教授等の肩書きを持つ株式会社圓窓の澤円氏と、全世界で週休3日の働き方の実現を目指す株式会社クロスリバーの越川慎司氏、専門学校の学校長を務める学校法人太田アカデミーの学校長・田鶴大輔氏の3名だ。マイクロソフトで学んだこと、今に生きていることを語っていただいた。

Windowsの会社がクラウドの会社に変わった瞬間に立ち会う

──皆さんが、マイクロソフトに入社したきっかけを教えてください。

 僕はエージェント経由で1997年に入社しました。当時のマイクロソフトは日本法人を大きくするフェーズで、法人ビジネスが始まったばかりの頃。僕は15人目のITコンサルタントとしてジョインしました。

株式会社圓窓 代表取締役社長 澤 円(さわ・まどか)
 立教大学経済学部卒業後、生命保険会社のIT子会社を経て、1997年にマイクロソフト(現・日本マイクロソフト)に入社。2006年には、ビル・ゲイツが授与する「Chairman's Award」を受賞。2011年にマイクロソフトテクノロジーセンター・センター長に。業務執行役員を経て、2020年に退社。著書に、『マイクロソフト伝説マネジャーの世界№1プレゼン術』(ダイヤモンド社)などがある。

越川 僕はオンライン会議のWebExという会社の立ち上げに携わっていたのですが、幸運にもお話をいただき、2005年にマイクロソフト米国本社へ入社しました。

株式会社クロスリバー 代表取締役CEO/アグリゲーター 越川慎司
国内外通信会社に勤務、ITベンチャーの起業を経て、2005年に米マイクロソフトに入社。日本マイクロソフト 業務執行役員としてPowerPointやExcelなどOfficeビジネスの責任者等を務めた後、2017年に株式会社クロスリバーを設立。著書に『AI分析でわかったトップ5%社員の習慣』『AI分析でわかったトップリーダーの習慣』『ずるい資料作成術』『超会議術』『巻込力』などがある。

田鶴 「あの越川さんが入社するよ」と、社内は騒然としましたよ。

越川 え! 騒がれていたとは、全く知らなかった(笑)。

田鶴 僕はNECに10年いたのですが、最後に企画したBtoB向けの製品を販売したくても、僕が営業しないと売れない状態になってしまったんです。だからパートナー営業を学びたいと思って、2003年にマイクロソフトに入社しました。

学校法人 太田アカデミー 常務理事 田鶴大輔
NECを経て2003年に日本マイクロソフトに入社。パートナーセールスチームでエグゼクティブ・ビジネスデベロップメントマネージャーを務めた後、学校法人太田アカデミーが運営する太田情報商科専門学校、太田自動車大学校の学校長に就任。マイクロソフトのナレッジを生かし、北関東一の規模で就職に強い専門学校に成長させている。

──マイクロソフトでの長年のキャリアで印象的だった仕事は何でしょうか?

 入社2年目に、ある日系大手企業のITコンサルを担当したことです。ここでは競合の製品からマイクロソフト製品に完全に移行するという、当時は世界でほとんど事例がないことをやらせてもらいました。

クライアントと二人三脚で成し遂げると、「澤に頼めば大丈夫だ」といろんな会社を紹介してくれることになって。技術の引っ越しは怖いことですが、クライアントのお墨付きによって仕事が増える体験を初期にできたのは本当に良かったです。

越川 僕はマイクロソフトを辞める直前に携わっていた、Microsoft 365(当時はOffice 365)の普及です。グローバルでクラウドへの移行を進めていたのですが、日本は圧倒的に遅れていたので必死でした。

 僕らは、クラウド移行に苦しんでいた3人だよね。

越川 ヒリヒリしたよね(笑)。2014年にCEOに就任したサティア・ナデラが「地球上のすべての個人とすべての組織が、より多くのことを達成できるようにする」というミッションを掲げたとき、クラウド時代が始まりました。

でも日本のクラウド化は進まなくて、本社からチクチクと言われることが多くて。

 僕らは、本社からの矢を一挙に受けてくれる越川さんの後ろに隠れていた(笑)。

越川 本当に、抹茶味のチョコレートやてぬぐいを何度買って渡米したことか(笑)。

だからこそ、2017年に初めてクラウドの売上が従来のソフトウェアのライセンス販売を上回ったときは、本当に嬉しかった。WindowsとPowerPointの会社からようやくクラウドの会社に変わり、その瞬間に立ち会えたのは忘れられません。

イメージは王者でも、現場はゲリラ戦

──田鶴さんはいかがですか?

田鶴 僕も越川さんと同じで、競合他社のクラウドサービスを扱う企業にMicrosoft 365を扱うパートナーさんになってもらう仕事をメインでやっていた時期がありました。

社長と直接交渉をして競合から“ひっくり返す”ということをしていたのですが、ある企業の社長から「競合とのお付き合いもあるから、子会社を作ってそこでマイクロソフト製品を扱おう」と言ってもらえたんですね。

それだけでもすごいことなのですが、あるときメインで取り扱っていた他社製品の業績が伸び悩み、子会社で取り扱っていたMicrosoft 365の業績が伸びたことがあって。「あのとき一緒にやる決断をして良かった」と言われたときは嬉しかったです。

越川 我々3人はオセロ返しばかりやっていたよね。

田鶴 マイクロソフトはIT業界をリードしている会社ではあるけれど、他の会社が成功した領域に二番煎じで突っ込んで、ひっくり返すことが多いんですよね。

 そう。当時マイクロソフトは王者のイメージが先行していたけれど、日本の現場はゲリラ戦。必ずリードする競合がいて、そこに対して挑戦していました。

ただ、仕組み化もされていないし、グローバルの仕組みやカルチャーと完全に合致するわけでもないから、本社とパイプがある越川さんが掛け合ってくれていました。

越川 昔は日本専用の製品やサービス、プロモーションなど独自なものが山ほどあったのが、だんだんなくなって思い通りにいかなくなったんですよね。

アメリカの本社からすれば日本は営業支社だから、業績が上がらなければ発言権も落ちます。協力を得るためには歩み寄りが必要で、僕はマイクロソフトでグローバルとローカルのバランスを取る「グローカリゼーション」を一番学んだなと思っています。

──相当苦労されたんですね。

越川 いや、苦労よりも楽しい方が勝っていましたよ。日本マイクロソフトは結束力が強く、お祭り好きなカルチャーがあって、製品がリリースされる日はみんなで集まって大騒ぎをしていたし、社員総会でも大盛り上がりで楽しかったです。

田鶴 社員総会の盛り上がりにはびっくりしました。それまで、社員が集まるのはメーデーや春闘だった会社に10年いたから(笑)、社員総会で「なんでこの人たちはこんなにキラキラしているんだろう」と衝撃を受けました。

 めちゃくちゃベンチャーだからね。

越川 9割以上が日本人だったし、ラジオ体操をして朝礼をするようなゴリゴリの日本企業から転職した人の集まりでもあったから、外資とはいえほとんど日本企業(笑)。外資と日本企業のハイブリッドなベンチャーでした。

「How can I help you?」ライバルを助ける文化

──お祭り好きなカルチャーという話が出ましたが、他にどんなカルチャーが印象的でしたか?

田鶴 難易度の高い目標をどうすれば達成できるのか、ポジションや年次、役割に関係なくいろんな人と集まって話すカルチャーです。しかも、立てたプランは達成するのが前提だから、3ヶ月目に達成ラインを下回っているとリカバリープランを求められました。

 成果を出さない人は会社に居られないから、自然と周りを巻き込んでいたのだと思います。プロ野球で例えるなら、去年ホームラン王でも今年3割を切ったらクビになるのが当たり前で。

越川 今振り返ると、それがグローバルスタンダードなんですよね。雇用が守られている国は日本くらいで、我々は20年前からジョブ型で働いていました。

ジョブ型はロール&レスポンシビティ、つまり役割と実行責任が明確だから同僚がライバルです。でも、複雑な課題を解決するにはいろんな人を巻き込んで「1+1」を3や4にしないと、お客さまの要望は満たせない。だからみんなで助け合って二遊間や三遊間のボールを取りに行っていました。

 いつも「どうしたらこの人を救えるかな」と考えていたよね。それを象徴するのが「How can I help you?」というフレーズ。これが本当にしょっちゅう出てくるのがマイクロソフトのカルチャー。

何が君の達成を阻んでいるのか、どうしたら君を助けられるのかをしつこく聞かれるのですが、このマインドセットはすごく良かったです。

「なぜできないのか」といった雑な聞き方や「自分で考えなさい」ではなく、ちゃんと分析してどうすれば助けられるかを考えてくれるから、厳しいけれどいい会社でした。

日本の大手企業も、変わろうと思えば変われる

──マイクロソフトで学んだこと、今に生きていることは何でしょうか。

 Windows とOfficeで帝国を築いた会社が、一気にクラウドの会社に変わったように、意志を持って変わろうと思えば変われることです。しかも短時間で。

越川 東日本大震災をきっかけに、2000人の社員が一斉に在宅勤務に切り替えて、社内の生産性が一気に上がったのもありましたね。

 そう。メール1通で全員が在宅勤務に切り替えた。あれは大きな成功体験だったよね。俺らできるじゃんって。

越川 それまでは、かなりの長時間労働で、帰りのタクシー待ちの行列は毎日の光景でした。その働き方を瞬時に変えられたことが自信になり、業績が落ちてもクラウド化に遅れても、全員で一体となって這い上がり、世界トップを勝ち取ることになったのだと思います。

 そうですね。僕は今、顧問の立場でいろんな会社のお手伝いをさせてもらっていますが、日本の大手企業も今まできっかけがなかっただけで、変わろうと思えば変われるんだなと思うことがよくあります。

だから、日本を代表するような大手企業に移ったマイクロソフトマフィアたちには、ぜひ中から会社を変えて日本の競争力を上げる一躍を担ってほしいなと思います。

越川 それこそ、日本マイクロソフトにいたベネフィットですよね。グローバルだけ、ローカルだけではなく、両方知っているから日本企業のグローバル化を支援できる。

これは日本企業や日本の発展にすごくいい影響だと思うし、マイクロソフトマフィアの果たす役割でもあると思っています。

──マイクロソフトから日本の大手企業に新しい血が入っていく。

越川 一方で、グローバル企業の日本支社の社長にも、結構マイクロソフトマフィアはいるんです。たとえばTwitter Japanやフェイスブック ジャパン、Airbnb Japanの社長は、みんなかつての同僚。

彼らはグローカリゼーションを理解しているから、日本のローカルも欧米本社の人たちの対応もわかっています。それもマイクロソフトマフィアとして大いに活躍できる道ですね。

田鶴 マイクロソフトはお金をもらいながらビジネススクールに通っているような感じでしたよね。

越川 たしかに、マイクロソフト入社当初は「予算はアンリミテッドだ」と言われて、実際にマーケティング予算が使い放題の時期が2年もありました。今考えるとありえないこと。

資金集めに割いていた7割の時間を、そのままマーケティングを学ぶ時間に使えたのはありがたかったです。

 技術も教わり放題だったよね。社内のアプリケーションはもちろん無料で使い放題だし、トレーニングコンテンツもたくさんあって、それを学ぶと他社製品もある程度わかるようになる。学ぶ環境としては最高でした。

教育現場にマイクロソフトのナレッジを注入

──その後、何がきっかけでマイクロソフトを卒業することになったのでしょうか?特に、田鶴さんの「専門学校の校長」というキャリアは、かなり珍しいと思います。

田鶴 実家の家業なんです。僕は継ぐのを逃げ回っていたけれど、マイクロソフトは副業OKなので、IT系の太田情報商科専門学校と、自動車整備士の専門学校である太田自動車大学校の校長の肩書きも持つことになったんですね。

2足のわらじを履いた当初は、群馬県にある学校の朝礼に出た後に特急に乗り、車両のデッキでオンラインミーティングに参加しつつ11時にはマイクロソフトのオフィスに出社するという日々を繰り返していました(笑)。

 そんなハードなことをやっていたんですね。

田鶴 ただ、その翌年にIT系の専門学校の在校生が過去最低になってしまい、これはなんとかすべきだと思って、少しずつマイクロソフトで学んだマネジメントスタイルを注入するようになったんです。

そのうち、50代の時間は学生のために使って、若い人材をもっと多く育てたいと思うようになり、50歳になる月にマイクロソフトを辞めました。2019年のことです。

──学校をIT化した。

田鶴 そうです。今は74歳の教員もTeamsでオンラインミーティングをしているし、小テストはMicrosoft Formsを使っていますよ。

越川 それはすごい。

田鶴 今までそういった環境がなかっただけなんですよ。コロナのおかげで随分IT化が進んだし、在校生数は最低人数だったときの倍になって、過去最高を更新しています。

今後は、学生たちが社会に出たときに、最初からある程度仕事ができるようなカリキュラムを作り、僕の賞味期限が切れる前に、知り合いの多いIT系企業に学生をどんどん送り込みたいと思っています。

全世界の企業で「週休3日」の働き方を実現させたい

──越川さんはどんなきっかけがあったのでしょうか?

越川 きっかけは2つあって、一つは東日本大震災です。マイクロソフトが働き方を一気に変えたことで、自分の生き方も考えるようになりました。

もう一つはマイクロソフトのシリコンバレー拠点で、マイクロソフトやGoogleなど複数社の社員証を持つ、アグリゲーターという肩書きを持つ人たちに出会ったことです。

アグリゲーターとは、ヒト・モノ・情報を集めて新サービスを作る人。これからはこういった副業がスタンダードになると思い、世界の働き方を率先して変えていくための会社を作りました。

ただ、当時はクラウドの会社に移行させるという重責を担った直後。すぐに独立するわけにはいかなかったので、会社が変わったことを見届けて、マイクロソフトを卒業しました。

今は働き方を実験するクロスリバーという会社を経営しており、本気で全世界の会社を週休3日にしようと考えています。

短時間労働でも業績が変わらない、むしろ業績が伸びていく企業を増やすにはもう少し実験を重ねる必要がありますが、社内では全員週休3日で全員複業を続けています。

その実験結果をクライアントに共有しながら、給料を変えずに週休3日で働くスタイルを全世界に定着させたいです。

──すでに週休3日が実現した会社はありますか?

越川 上場企業ではまだ一部です。ただ、徐々に実験しようとする会社が出てきているので、時間や場所の制約なく成果を出せる方法を追求したいと思っています。

田鶴 ワークライフバランスとは、そういうことですよね。

越川 そうです。ワークとライフは別ではなくて、ライフの中にワークがあるのだから、働くことも楽しまないといけない。「育児中だから時短勤務」とは別次元の、“ワークライフハーモニー”こそが、日本に相応しいのではないかなと思っています。

人々がハッピーになるお手伝いをしたい

──澤さんはどんなきっかけでマイクロソフトを卒業されたのでしょうか?

 僕は、お客様のIT導入を支援するワークショップや講演等を行うマイクロソフト テクノロジーセンターを9年任されていました。

テクノロジーセンターは楽しくて辞める理由がなかったのですが、卒業するきっかけになったのはコロナ禍です。センターのリニューアルが2019年に決まったものの、コロナ禍で工事が全てストップし、出社もできずお客さまも呼べなくなってしまって。

オンラインでの講演は続けていたけれど、これは会社の仕事としてやらなくてもいいのではないかと思うようになったんですね。

僕も越川さんと同じように、在籍中から自分の会社を作ってオフィスも借りていたから、そろそろ潮時かなと思って、2020年8月に退職しました。

すると独立した途端、「待ってました!」と言わんばかりに、いろんな人が声をかけてくれて、現在は顧問契約が9社、執筆が3本、琉球大学と武蔵野大学の教員をしています。肩書きだけでお腹いっぱいの状態ですが、それでも週休3日で働いていますよ。

29年もサラリーマンをやってきて今更感はありますが、独立して自分にはサラリーマンが向いていないことがよくわかりました(笑)。

──これからどんなことを成し遂げたいですか?

 僕は昔から夢とか成し遂げたいこととかないのですが、「人々がハッピーなるようなお手伝い」ができれば、手段はなんでもいいと思っています。

これはマイクロソフトのミッションである「地球上のすべての個人とすべての組織が、より多くのことを達成できるようにする」に近くて、僕がやりたいのは結局そういうことなんですよね。

田鶴 わかります。僕は「Your potential. Our passion.」という言葉も大好きで、何かやりたい人のお手伝いをしたいマインドを持つ人が、マイクロソフトには多いと思います。

 いい言葉ですよね。それから、日本人は正解がある前提でものを考えるように教育されていますが、マイクロソフトは答えを自分の頭で考えるカルチャーが徹底されていました。

この「自分の頭で考える」ことは日本企業の進化や価値向上、つまり人々をハッピーにすることにつながると思うんです。僕らのようにマイクロソフトから異業種に移ったマフィアは少数派なので、ぜひ多くのマフィアたちにも異業種のいろんな領域で活躍してほしいなと思っています。

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編集・執筆:田村朋美
撮影:小池大介

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