なぜ、小日向えりは「歴ドル」から起業の道を選んだのか

「目標に向かって徹底的に努力をする」、小日向えり氏のキャリアの拓き方はシンプルだ。15歳から目指した芸能界への道、その後、歴ドルになってからの苦悩。そして、何かを犠牲にする努力ではなく、過程も心から楽しめる起業の道へと辿り着く。本記事では小日向氏を形成するに至った「9」のファクターをビジネスモデルキャンバス、ならぬキャリアモデルキャンバスで解き明かす。

小日向えり 株式会社ぴんぴんころり代表取締役
1988年生まれ。奈良県出身。横浜国立大学教育人間科学部卒業。歴ドル(歴史アイドル)の草分け的存在としてタレント活動を行う。信州上田観光大使、関ヶ原観光大使、会津観光大使などのほか、歴史グッズ通販サイト「黒船社中」を主催。著書に『会津に恋して』(中経出版)、『いざ、真田の聖地へ』(主婦と生活社)などがある。2017年に高齢者支援事業を担う株式会社ぴんぴんころりを立ち上げる。

目標を設定して、夢中になって突き進む

「アクティブシニアに仕事を創出したい」、そんな思いで私が立ち上げたのが「ぴんぴんころり」という会社です。 “おせっかいなご家庭サポート「東京かあさん」”というサービスを提供しています。高齢者が働けるプラットフォームをつくり、高齢者の生きがいをつくる。生涯現役社会を構築していくことが、今の私の目標です。

思えば、「目標があると突き進むタイプだよね」と両親から言われるほど、自分が決めた夢に向かって全力疾走する人生を歩んできました。

最初に目標ができたのは、中学生の頃。「ティーンファッション雑誌のモデルになりたい」というものでした。その当時、蒼井優さんや大沢あかねさんがティーン誌のモデルとして活躍していて、「私もあの世界へ行きたい」と強く思いました。

仕送りゼロ生活でもブレない芸能界への夢

中・高時代は関西の芸能事務所に所属して、たまに東京に行き仕事をするような日々を過ごしました。三姉妹の末っ子の私に対し、両親は、学業をおろそかにしなければ好きなことをしてよい、というスタンスで接していました。

「卒業後にはモデル業を本格化させたい」と思っていた私は、高校3年生の時に「上京し、仕事に打ち込みたい」と両親に告げます。正直なところ、大学に進学する気はありませんでした。しかし、内心、母親は心配していたのでしょうね。「国立大に入学しなければ上京は許さない」「お金がないから仕送りはできないよ」と、条件を提示してきました。

「国立大学には合格する。仕送りもいらないから、それでいいでしょう?」

あきらめる気はさらさらなかった私は、そう断言し、必死に受験勉強に打ち込みました。

母の言う通りに、国立大学に合格。なんとか上京することができたものの、仕送りはなく、大学入学当初は仕事も少なかったため、なんとかアルバイトで生活費を稼いで食いつなぐ日々が続きました。朝6時からコンビニでアルバイトをし、大学の授業が終わると家庭教師として働く。そんな私をアパートの大家さんが気にかけて、「庭に生えているニラは自由にとって、食べていいよ」と言ってくれて。雑草と間違えないように匂いを嗅ぎ分けながら採取している時期もありました(笑)。

夢は抱き続けているものの、年齢を重ねればティーン誌のモデルにはなれません。一般的なモデルは身長の高さが求められるので、私には難しい。そこでオタク気質だった私が考えたのが、「自分の好きなことを生かして仕事にできないか」ということでした。

当時の私はユニークな文字や絵がプリントされたインディーズTシャツが大好きで集めていました。そこで、「Tシャツ研究家」として発信を始めます。好きなことに没頭することは楽しかったのですが、仕事が増えることはなく……。どうすればよいかを模索する日々が続きました。

「歴ドル」としての道をスタート

まさに“ビンボーガール”生活を送っていた私に、大学3年生の頃、転機が訪れます。『レッドクリフ Part II』のイベントに出演しないかと声をかけてもらったのです。当時の私は全くの無名タレント。そこで、「三国志アイドル」か「歴史アイドル」という肩書きをつけてもいいかと主催者から相談を受けたのです。

実は、映画をきっかけに私は三国志のおもしろさに夢中になっていたんです。横山光輝さんの漫画『三国志』や吉川英治さんの『三国志』を読破、さらには明の時代に書かれた小説である『三国志演義』と史実の違いなどを探究しているうちに、その魅力にどっぷりはまっていきました。そんな私をみてイベントの主催者とマネージャーが「歴史アイドル」としてイベントに出演させようと考えたようです。

そして、なんとその後「歴史アイドル」としての出演オファーが殺到したのです。新聞や雑誌に「歴ドル(歴史アイドル)」として掲載され、それを見た出版社からも「本を出しませんか?」とオファーをいただきました。

さらに、ほとんどテレビに出演したことがなかったにもかかわらず、いきなりメジャー番組である『めざましテレビ』や『平成教育委員会』への出演も決まりました。当時の私は、不安半分、うれしさ半分の状態。ですが、「やるしかない」と腹を括り、「歴ドル」の道を歩む覚悟を決めたのです。

とはいえ、「歴ドル」活動をスタートした頃の私は、歴史に関する広範な知識もなければ、トークも下手。マネージャーからは「素人を連れていった方がマシだよ」と言われたことすらありました。さらに、歴女ブームが盛り上がる中で、他の歴ドルもどんどん登場します。「才能がない自分にできることは努力しかない」と、歴史の本を読み漁り、研究者レベルといわれる三国志検定1級の資格を取得し……と、寝る間を惜しんで勉強をしました。

また、自分を知ってもらうための発信にも力を入れました。今でこそ、タレントがSNSで自身の特徴や思いを発信し、仕事に繋げていくことは一般的になりましたが、2009年頃はまだまだ少数派。しかし私は、20年前からブログを始めているネットオタク。パソコンが大好きで、手打ちでコーディングをしてサイトを作っていました。

この特技を活かし、ブログやSNSで史跡巡りや史実からの学びを発信していくと、歴ドルとしての仕事が順調に増えていったのです。

「すごいね!」といわれるも、「これでいいのか」と迷う日々

歴ドルの仕事は充実していました。『Qさま!』やNHK『高校講座世界史』など多くの人が知るクイズ番組に呼ばれるようになり、周囲から「すごいね」といわれることも増えていきました。一方の私はテレビ番組出演が決まり、注目を浴びれば浴びるほど、「うまくできるかな」「ちゃんと正解できるかな」と大きなプレッシャーに押しつぶされそうになりました。

その迷いは、歴ドルとして活動してしばらく経っても繰り返し頭をよぎりました。関ヶ原をPRする歴ドルユニットを組んだ時のこと。イベントにたくさんの人が入って注目が集まれば集まるほど、グイグイとステージの前に出てテンションを上げて歌って踊る他のアイドルに対し、人が増えれば増えるほど「どうしよう……」と不安になる私。芸能界に向いているのがどちらなのかは明らかでした。

気心の知れた友だちにそんな思いを吐露すると、「山登りの過程も楽しめる方が人生は楽しいんじゃない」と言われます。確かに私は、目標という山を登っている時は心底苦しく、頂上まで登り切った一瞬だけホッとして、達成感を味わっていました。その安堵や楽しさを感じるのは束の間で、また険しい山登りがスタートするのです。

例えば、釣りをしている人は、魚を獲りたくて必死に釣りをしているわけではないでしょう。釣り人は、釣りという行為そのものを楽しんでいる。魚が獲れるのはあくまで結果にすぎません。

友人との会話を機に、これまで芸能界で生き抜こうと、遊びや恋愛など全てを犠牲にしてきた自分を省みるようになりました。

「私、このままでいいのかな……」

目標達成に向け、全力疾走し続けた人生に対し、ふと疑問が湧いた瞬間でした。

「高齢者の孤独を解消したい」という思いから起業

東京での忙しい日々を過ごす私にとって、故郷の家族は大きな支えでした。なかでも、幼少期からずっと私を可愛がってくれた祖母は大切な存在でした。

祖母は80歳になっても外で活発に働き続けるパワフルな女性。私は小さい頃からそんな元気な祖母が大好きでした。しかし、ある日、そんな祖母が怪我をして入院したという連絡を受けます。家族からは、高齢により働き先がなくなって自宅に篭りがちになり、活力を失っていた矢先の怪我だったと聞かされます。私は、祖母の変貌ぶりに大きなショックを受けました。

そして、元気だから働いていたのではなく、祖母にとって働くことが元気の源であったのだと気付いたのです。

この日をきっかけに、「高齢者がイキイキと生き続けるために私ができることはないのだろうか」と漠然とした思いを抱くようになりました。

歴ドルの仕事に追われ、3年、4年と年月を重ねる中で、その思いはどんどん膨らんでいきました。「高齢者を笑顔にできる事業をしたいんです」「イキイキとしたシニアを増やすにはどうしたらよいかを考えています」と、様々な方と話しをする中で、少しずつ「シニアが働き続けられる仕組みを作る」という私が真にやりたいことが言語化されていきました。そして、2017年に、高齢者支援事業の「ぴんぴんころり」を創業します。

起業して程なくして、ユニークなスキルを持ったシニアが登録できるマッチングサイトを立ち上げます。しかし、高いスキルを持ったシニアにばかり注目が集まるという事態が生まれ、「すべての高齢者がイキイキと働ける仕組みをつくる」という私の目標とは外れていきました。

「この事業では、私が目指していることは達成できない……」

私は、自分の目指す世界と事業のズレから、3カ月ほどでピボットを決意します。その後、私の祖母のような「ふつうのおばあちゃん」が働けるような仕組みをつくりたいと考えて、洗濯の代行サービスを検討しました。ですが、この事業では高齢者と他者との接点が生まれにくい。自身の祖母が働いていた時のことを思い起こすと、元気の秘訣は仕事を通じて喜ばれたり感謝されたりすることであるような気がしました。

「高齢者がお客様と関わり合いながら仕事ができる仕組みをつくりたい」

事業の輪郭が見えながらも、考えあぐねる日々が続きました。

試行錯誤の末、2018年に、“東京にもう1人のお母さんを”をコンセプトとしたおせっかいスタイルなご家庭サポートサービス「東京かあさん」を構想します。半年間の実証実験を経て、2019年にローンチ。すると、サービス開始から2年半で「お母さん」登録者数は500人を超え、累計マッチング数は300件以上となりました。サービスを一層拡大すべく累計1.5億円の資金調達もしました。

何も犠牲にせず目標達成の過程を心から楽しむ

「東京かあさん」のサービスが社会から強く求められていることを実感し、2020年、私は芸能界引退を表明しました。もう絶対に戻ってくることはないと決意した結果だったので、芸能事務所に籍も残しませんでした。

会社を立ち上げた時、「いつかは事業一本で生きる」と決めていました。日露戦争時代の軍人・秋山好古が、「男子は生涯一事をなせば足る」と言っています。かたや私は歴ドルと事業の二足の草鞋を続けている。そんな自分の中途半端さを感じ、何か一つのことだけを貫き通したいという強い気持ちもありました。新たな目標に向け、人生をかけて駆け抜けたいと思ったのです。

日本に暮らすアクティブシニアは約3,000万人いるといわれています。その方々を元気にして、幸せに暮らしてもらいたい。生きがいをなくして、元気を失ってしまった人を1人でも減らしたい。今は、そんな願いを持って事業に集中しています。

また、事業スタート時は高齢者を元気にしたいという思いだけでしたが、最近では子育て世代のご家庭のサポートにもつながっていると実感しています。「東京のお母さん」のおせっかいな手助けを届け、安心して子育てができる環境をつくっていきたいと思っています。 目標の実現のためにとことん努力をする姿勢に変わりはありませんが、今は、何かを犠牲にしている感覚はありません。頂上だけでなく、“山登り”の過程も心から楽しめる事業に出会うことができました。それに、1人で全力疾走するのではなく、仲間たちと一歩一歩登っていくのも、いいものだと感じています。

小日向えりのキャリアモデルキャンバス

Value ─キャリアを通じて提供したい価値は?─
→笑顔を生む

「アイドルをしている時も、今の事業も、誰かに楽しんでもらい笑顔を生むことにこだわっています。自社のミッションも『笑顔の連鎖』としているんです」

Customer Relationship ─周囲の人とどう接する?─
→相手に愛情を持つ

「誰かと接するのにテクニックは必要ないと思っています。お世話になった人に恩返しをする、初対面の人に対して興味を持つ、そうした相手への義理や愛を大切にしています」

Channel  ─自らの考えをどう届けている?─
→SNS

「15歳からブログを続けているので、考えを発信することは好きなんです。ツイッターやFacebook、noteなどのSNSを使ってどんどん発信するようにしています」

Customer Segment ─誰の役に立ちたい?─
→アクティブシニア

「高齢者にとって働くことが1番のビタミン剤だと思っています。いくつになっても元気に働ける場所を作りたいという思いで事業をしています」

Key Activity ─キャリアを通じて行っている行動や活動は?─
→自分で責任を取り、自分でやり切る

「アイドルの仕事も、起業も、すべて自分次第です。誰のせいにもできないし、環境のせいにもできない。キャリアを通じて、戦略的に考えながら自分で責任を持ってやり切ることを大事にしています」

Key Resource ─原動力となる能力やスキルは?─
→努力

「私には特別な才能はありません。ただ、目標実現に向けて徹底的に努力できることは才能だと思っています。また、IT好きなことは歴ドル時代も今も生きています」

Key Partner ─自身のキャリアの重要な協力者は?─
→Tシャツ研究家時代に出会った米繊維工業の久米信行さん

「大学時代に出会った久米さんには『10人師匠を持つといいよ』と言われました。その言葉通り、たくさんの人に会って、学ぶことを今も大事にしています」

Cost ─キャリアのために投資していること、犠牲にしていることは?─
→すべて(笑)

「キャリアの目標を実現するためにお金も時間も全てをかけていました。現在は、何かを犠牲にするのではなく、ただ努力の全てが楽しいです」

Reward ─あなたは働くことを通じてどんな報酬を得たい?─
→笑顔になってもらうこと

「笑顔になってもらえる、喜んでもらえるということが、何よりのやりがいであり、報酬です!」

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編集:野垣映二(ベリーマン)
執筆:佐藤智
撮影:小池大介