【横石崇】やりたいことなんてなくていい。“ノーモア予定調和”がキャリアを創る

働き方の祭典「Tokyo Work Design Week」、シェア型本屋「渋谷○○書店」──、ユニークでありながら時代の空気を捉えた数々の企画を手掛けてきた&Co.の横石崇氏。同氏のキャリアは一貫性がないように思えるほど紆余曲折を経ている。肩書もプロジェクトによってさまざまでいまいち掴みどころがわからない。本記事では横石氏を形成するに至った「9」のファクターをビジネスモデルキャンバス、ならぬキャリアモデルキャンバスで解き明かす。

横石崇  &Co.代表取締役/Tokyo Work Design Weekオーガナイザー
1978年生まれ。大阪府出身。多摩美術大学卒。日本初のクリエイティブエージェンシーTUGBOATグループにおいて20代で役員となる。2016年に&Co.を設立。ブランド開発やコミュニケーション戦略、組織変革・社会変革を中心としたプロジェクトプロデューサー。
アジア最大規模の働き方の祭典「Tokyo Work Design Week」では3万人の動員に成功。鎌倉のコレクティブオフィス「北条SANCI」支配人。渋谷区発の起業家育成機関「渋谷スタートアップ大学(SSU)」、シェア型本屋「渋谷◯◯書店」などをプロデュース。代官山ロータリークラブ会員。法政大学兼任講師。米国ビジネス誌「FAST COMPANY」をはじめ国内外でアワード受賞。著書に『自己紹介2.0』(KADOKAWA)、『これからの僕らの働き方』(早川書房)がある。

肩書に縛られず、何かを目指すこともないキャリア

「どんな仕事をしていますか?」と聞かれるのが最も困る。

1つに縛られるのは嫌なんです。肩書を聞かれると「プロジェクトプロデューサー」と伝えることが多いですが、「企画屋」であり、「場の編集者」「組織変革デザイナー」「自己紹介研究家」でもある。1つの肩書きに縛られてしまうと、その枠にはまってしまう感じになって苦しくなります。だから、1者から100万円をもらう仕事ではなく、10者から10万円をもらうような感覚で仕事をしています。

ですので、相談する方も何を相談していいのかわからないし、僕もどんな立場で答えていいかわからない(笑)。でもそんな混沌とした状況からいつも新しいプロジェクトが始まります。

“働き方の祭典”「Tokyo Work Design Week」は渋谷からスタートしたのですが、それは渋谷という街が遊び場だけではなく働く場としてシフトチェンジをしようとしていると知ったのがきっかけでした。「みんなで本を持ち寄って、みんなで運営する」というコンセプトのシェア型書店「渋谷○○書店」は、街から消えていく書店をどうやって残すことができるかと盛り上がったのが発端でした。多くのプロジェクトがそうやって雑談から生まれてきます。

自分のキャリアに関しても、あえて何かを目指すことはありませんでした。目的から逆算するのではなく、いま目の前にあるものを掛け合わせて、「おもしろそう」から創造していく。振り返ると、そうやって雑談するようにして自分ができあがってきました。

絵は描けないけど、たまたま美大生に

高校時代は、ストリートダンスに夢中になっていました。ろくに勉強もせず学校も行かずに遊んでばかりいました。そんな僕に、「興味ありそうだから、特別授業を受ける?」と声をかけてきた塾の先生がいました。それがアートの授業。当時はアートに興味はありませんでしたが、「よくわからないけど、おもしろいかも?」程度の気持ちで授業を受け始めます。

周囲の友人が受験に向けて英語や数学の追い込みをしている最中、なぜか僕だけ「印象派の成り立ち」「ポストモダニズムの可能性」や「暗黒舞踏にみる身体表現論」といった授業を受けていたんです。このとき、生まれて始めて勉強したかもしれません。浪人してまで、みっちり2年間やりました(笑)。ちなみに、デッサンの練習などはしていません。いや、少しやってみたのですが絶望的でした。だから、昔も今も、絵が描けないんです。

結果、美大の中でも実技試験のない多摩美術大学の芸術学部に入学しました。芸術学部は絵を描いたり、デザインしたりするのではなく、学芸員や批評家などアート領域のプロデューサーを育てる学部で、美大の中でも異質なところでした。

“絵を描かない”美大生になった僕は、熱心に大学へ通いました。芸術祭の実行委員会の活動に夢中になったからです。

もともと自分が表立って何かをするというよりは、にぎやかな友だちの後ろでニヤニヤしている参謀タイプだった僕。在学中の4年間委員を続けて実行委員長にもなりました。

今振り返ってみれば、自分自身が作品を作ることができないからこそ、プロデューサーとしてのやりがいを感じていたのだと思います。反体制的である学生アーティストたちから湧き上がるエネルギーをどうやって大きな渦にしていくか(笑)。その時はじめて、編集から新しい価値を生み出すキュレーションの可能性を実感しました。

いきなり部署解散、倒産寸前

就活を前に、そのキュレーションの力を活かせる仕事をしたいと考えるようになります。友人にはクリエイターも多く、その影響もあって独立がチラつきましたが、いかんせん会社経営や事業計画の立て方がわかるわけもなく、会社に入って実践から学ぶことを決めました。

入社したのは、メディアアート事業も手掛け、急成長していたマーケティング会社です。坂本龍一さんやダムタイプといったアーティストとプロジェクトを組んだり、オンラインメディアを立ち上げて編集長をしたりと仕事のイロハを身につけることができました。

そんな矢先、ITバブル崩壊の余波もあり部署が解散となり、情報環境企画室という一般的に言うところの事業開発部門へ配属されました。オンライン会議サービスやバーチャルミュージアムなどの事業開発なんかをやっていました。

大きな会社ではなかったですし、当時のインターネットはまだ黎明期。周囲からも「よくわからないから、とりあえず任せる」と言って、丸投げしてもらえるようになりました。「丸投げ」という言葉はネガティブに使われる印象がありますが、僕からしたらチャンスでしかない。企画も予算もチーム編成も自分の裁量でできますし、失敗しても会社が守ってくれるわけですから。

しかし、入社5年目になって思いも寄らない事態が起きます。会社の経営が傾き、社長が消えました。仕事が止まり、パートナー企業への支払いが滞るなど、現場にもシワ寄せがきて、丸投げを請け負っていたこともあり心身ともに大きなダメージを受けました。それでも「もっと横石くんと仕事をしたい」と言ってくれた人たちのおかげで、折れずにやり続けていました。

結果、会社は倒産せずに民事再生という手段をとり、スポンサーを得て復活していきます。ここで僕が学んだことは「会社を信用しきってはならない」ということと「為せば成る」という発見です(笑)。

20代で役員。食事も喉に通らない日々

20代半ばを過ぎた僕に、知り合いの転職エージェントが「そろそろ会社を移らないか?」と声をかけてくれました。日本初のクリエイティブエージェンシーTUGBOATが、デジタルメディア事業に挑戦するタイミングで、一緒に働くメンバーを探していたんです。当時、TUGBOATといえばテレビドラマの題材になるほど、世間を賑わしていたクリエイティブ会社です。時代を代表するクリエイティブ・ディレクター岡康道さんをはじめとした一流クリエイターの仕事を肌で感じられるチャンスでした。

当時の記憶が定かではないぐらいにハードな日々が続きました。TUGBOATのデジタルメディア部門として、Yahoo! JAPANとともに雑誌のコンテンツプラットフォーム「X BRAND」を立ち上げて会社を設立しました。ボードメンバーとしてCOOに就任。3年目で約1,000万人のユーザーが利用するサービスにまで成長し、他サービスもあわせるとスタッフも50人ほどに増えていました。

業績は右肩上がりでしたし、ヤング・エグゼクティブと揶揄されるぐらいに周りから見たらトントン拍子に見えていたかもしれません。でも組織の中は決してうまくいっているとはいえませんでした。

前の会社の倒産騒動を見ていたこともあって、「事業を大きくしなければいけない」「成長させなければいけない」というプレッシャーからか、社員の声にあまり耳を傾けられなくなっていました。

社員から相談されてもまともな判断もできずにいましたし、プレッシャーで睡眠時間もとれず、食事も喉を通らなくなりました。自分がもがけばもがくほど組織は崩壊していきます。気づけば自分が誰からも信用されない存在になっていました。それでも、その時の僕は脇見することなく、ただ目標に対して走り続けることしか脳がありませんでした。

陸前高田で「もう来なくてもいい」と言われた

そして突然、プチッと糸が切れてしまいます。2011年3月11日、東日本大震災が日本を襲いました。メディアで映し出される被災地の様子をみて、自分が必死にやっていることに自信が持てなくなったんです。

「1000万人のユーザーがいるから何なんだ」

自分の手掛けている事業がどれだけ延びていても、目の前で困っている人たちに何もすることができないという苛立ちと虚無感。

さまざまな想いが交錯して「もう無理だ」と感じた僕はちょうど黒字化したタイミングもあって、先のことは考えずに会社に退職の旨を伝えます。そして、すぐに被災地である陸前高田にボランティアとして飛び込みました。今思うとバーンアウト(燃え尽き症候群)したんだと思います。震災はそのトリガーでした。

陸前高田では支援で送られてきたパソコンのセッティング作業などを手伝いました。そして、作業を終えて村の人たちとご飯を食べていると、地元の顔役に「もう来なくていい」と言われてしまったのです。

「ここまでしてくれてありがとう。自分たちはもう大丈夫。ただ、ここにいる子どもたちの未来が心配だ。もうこの場所には来なくていいから、子どもたちの未来のために働いてくれないか」と。

きっとその人は僕だけではなく、若いボランティアスタッフに対して同じようなことを感じていたのだと思います。

被災者に対して何もできないという自分への葛藤から、陸前高田までやってきた。でも結果的に向こうから断られてしまったんですよね。でも、その言葉が今の僕の原動力になっています。ちゃんと時間をかけて自分の信じている未来をつくっていこうと思ったからです。

ここから自分は一体どうしたらいいのか。何かを得るには何かを捨てなきゃいけない。そう思った僕は、家を解約して家財道具を捨て、その当時付き合っていた彼女とも別れを告げて、バックパック一つで世界一周の旅に出かけました。

結局、その旅で何も見つからなかったわけですが(笑)。

死ぬ間際に聞かれた「働き方」

帰国後、フラフラしていると人材会社に勤めていた知人から声をかけてもらって、人材と広告の領域をクロスオーバーするBENCH(ベンチ)という会社を共同創業しました。そこから徐々に働き方に関する活動が増えていきます。

僕が「働き方」をテーマにしたのには理由がありました。当時、大学時代からの親友を亡くしたのですが、彼が最後に僕に会いにきて尋ねたのが「どんな働き方をしているかを教えてほしい」という質問だったんです。死期が近いことを悟っていたのかもしれません。この世界を知ろうとするとき、人生の手触りを得ようとするとき、人は「働き方」を通じて生の実感を求めるのかもしれません。そのこともあって、もっと働き方について雑談するように話し合える場が必要だと思ったんです。

まずは手始めに、いろんな企業の空き会議室をつかって働き方の勉強会を始めました。知り合いに声をかけて6人の会からスタートしました。そうして何度かやってコツを掴んだところで、当時できたばかりの渋谷ヒカリエの担当者に「働き方のフジロックフェスティバルをやりませんか」と言って始まったのがTokyo Work Design Weekです。

当時、働き方について気軽に話し合える場は今みたいに多くありませんでした。自分の働き方や会社のことを他人と話し合うことはタブー視されていたところがあります。そこで、ひとまず一日だけ会場を使っていいということでテスト開催してみたのですが、平日の昼から会場にお客さんがビッシリと埋まりました。その光景にヒカリエの担当者やメンバーらも大興奮でした。

それ以来、10年にわたって開催をしています。働き方の祭典は6人の勉強会から始まって、今では海を超えて何万人も参加する大きなムーブメントに成長しました。それは世の中で「働き方」というテーマが社会問題化していったことに他なりませんが、僕にとってはボランティアに行って託された言葉、そして友人の死があったからこそ。

陸前高田で投げかけられた「子どもたちの未来のために働いてくれないか」という問いかけと、亡き親友から投げかけられた「どんな働き方をしているかを教えてほしい」という問いかけ。

それらの問いと僕の活動がつながるならば、それは「個」をつくっていくことに他なりません。「個」を大切にする社会を作ることが、子どもたちの可能性を受け止める土壌になるでしょうし、僕らが豊かになっていくためのきっかけになると信じています。

もちろん僕一人では子どもたちの未来を支えることなんてできません。でも、周りを巻き込んでみんなでやれば、それは大きな力になるはずです。そのために、今までしてきた多くの挫折や失敗が糧になっています。「民事再生」も「バーンアウト」も「友人の死」も。やってきたこと、経験してきたことすべてに意味があると思っています。

雑談や余白が未来をつくる

2016年から独立して、「&Co.(アンドコー)」という会社で活動しています。社会に対して何かメッセージをこしらえては、それらをプロデュースする日々。そんな中で大事にしているのは、自らで肩書きを決めたり目標を定めたりしないことです。

企画は、何かと何かの組み合わせで生まれます。ガチガチに固めてしまうと、変数の幅が狭くなってしまう。社名の「&Co.」には&の前に余白がありますよね。余白や変数が生まれる環境であることが大事で、そういう場のつくり方を志向しています。

キャリアについても同じことがいえます。これまで紆余曲折を経ていろいろなことをやってきましたが、結局僕は目標とか夢とか持てないんですよね。むしろ意識して計画や段取りを棄てるようにしています。

「こうなりたい」とゴールを目指し、それに向けて逆算していくと、その通りにしかならないし、自分自身も窮屈です。書店をやることになったのも、大学講師をやることになったのも、本を出すことになったのもすべて予想していなかったこと。ノーモア予定調和です。若い人たちが「やりたいことがない」ってよく相談に来ますけど、「やりたいことがない」ことが価値になるんです。むしろやりたいことは邪魔なんです。目標を突き詰めっていっても平均点しかとれない。

自分が今持っているものを掛け合わせて、今までに見たことないような価値を生んでいくを大事にしていきたい。平均からはみ出てくるところにこそ、大きな価値が宿ると思っています。

たとえば、レシピを見て食材を揃えて料理をするのではなく、冷蔵庫にあるあり合わせの食材から料理を作るようなイメージ。今持っているものを組み合わせたら、出会ったこともない料理になるかもしれません。

へんてこな料理になるかもしれませんが、それもまた楽しいじゃないですか。たくさんのへんてこな料理が生まれる世の中であってほしいし、それを持ち寄うことを楽しめる自分たちでありたい。平均的で、予定調和的な世界なんてつまらないですから。

横石崇のキャリアモデルキャンバス

あえてキャリアの目標を定めないという横石氏。一貫性のないようにも見える横石氏のキャリアの根幹にあるものは何か。

Value ─キャリアを通じて提供したい価値は?─
→「個」育て

「個々人が持っている感受性を育てて、個性が発揮できる社会をつくること」

Customer Relationship ─周囲の人とどう接する?─
→偏愛を愛でる

「自分の好きや情熱をもっていれば、世界は広がって、自分のいる世界をもっと肯定できるのではないでしょうか。偏愛に満ちた世界は地球を救うはず」

Channel  ─自らの考えをどう届けている?─
→いいものはちゃんと届く

「いいものを作ったり、いい活動をしていたら、自然とそれは伝わっていくと考えています。無理して『発信する』ことを意識するよりも、自分たちが楽しんでいればその輪は広がっていくと思っています」

Customer Segment ─誰の役に立ちたい?─
→平均からはみ出している人

「何かを一歩進めようとしたり踏み出そうとしたりしている人にとっての、1人目の仲間でありたいというのが、&Co.に込めた想いです。いわゆる『はみ出し者』の役に立ちたいんです」

Key Activity ─キャリアを通じて行っている行動や活動は?─
→言い出しっぺ

「人見知りなので主催以外のイベントに行くときはドキドキしちゃってそそくさと帰ってしまいます。でも幹事をすると、知り合いになれるじゃないですか。だから、いつだって主催者になるようにしています」

Key Resource ─原動力となる能力やスキルは?─
→あいづち

「聞く力。相手が何を感じているか、何を考えているか、言葉の裏側を感じ取ることを大事にしています。自分が話すことが苦手なのもありますが、人の話をずっと聞いていたいですし、飽きないんです」

Key Partner ─自身のキャリアの重要な協力者は?─
→これまで出会った一人ひとり

「僕の信条は、『全ての人から学びがある』ということ。嫌いな人や苦手な人は一人もいないですし、何かしら学ぶことがあると思っています。出会った人たちから少しずつ影響を受けて、今の自分が形成されています」

Cost ─キャリアのために投資していること、犠牲にしていることは?─
→一年に一度の祭典

「Tokyo Work Design Weekは全てを持ち出しで、1年間かけて準備しています。それぞれの『個』が生きる世界観をつくるために、お祭りにお金も時間も投資しています」

Reward ─あなたは働くことを通じてどんな報酬を得たい?─
→人間を知ること

「結局、人間が一番おもしろいですよね。僕にとって、誰かのことを知れることは、最も大きな報酬です。関わった人の生き様や働き方を通じて、自分自身の在り方も知れるんです」 

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編集:野垣映二(ベリーマン)
執筆:佐藤智
撮影:玉村敬太

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