【大都・山田岳人】事業承継した縁もゆかりもない会社の中に見つけた、自らの「Will」

リクルートの営業から結婚を機に社員15人の中小企業の3代目後継者となった山田岳人氏。縁のない家業を引き継ぎ、その中でどのように自らの志を見つけていったのか。本記事では山田氏のキャリアを振り返りながら、それを形成するに至った「9」のファクターをビジネスモデルキャンバス、ならぬキャリアモデルキャンバスで解き明かす。

株式会社大都代表取締役/一般社団法人ベンチャー型事業承継理事
1969年石川県生まれ。京都産業大学卒業後、(旧)リクルートフロムエーに入社。6年間の人材採用営業を経て、結婚を機に、1937年創業の総合金物工具商社株式会社大都へ後継者として入社し専務となる。卸売業の赤字決算が続く中、一人でEC事業を立ち上げる。2011年に三代目社長に就任。

働く楽しさに魅了されたリクルート時代

僕は日本最大級のDIY工具やガーデニング用品、塗料のEC通販ショップを営む大都という会社を経営しています。大都がEC事業に転身したのはほんの十数年前のこと。それ以前の大都は、総合金物工具の卸売業を担う会社でした。

6年間のリクルート勤務後、結婚を機に大都の3代目として入社。経営者として大都を任されることになりましたが、その道のりはお世辞にも順風満帆とはいえないものでした。

仕事は楽しくなければ成果が出ないと、僕は思っています。最初にその考えに気づかせてくれたのは、大学2年生の時にはじめたアルバイト。

大阪府で大学時代を過ごしていた僕は、リクルートの『フロムエー』の関西立ち上げ期にアルバイトで採用されました。アルバイトといっても、やることは社員と同じ。スーツを着て、ネクタイを締めて、どんどん飛び込み営業をします。新規の媒体なので知っている人は誰もいません。一から説明をして、新規顧客をどんどん増やしていきました。

チームで1週間ごとに数字を追い、頑張った分だけ成果が出る。楽しくて、無我夢中で働きました。その結果、僕は他の社員をおさえて大学3年生にして関西事業部のMVPとなりました。

そして、そのMVPの結果を持ってリクルートの採用担当者のもとへ。「こんなに間違いのない新卒採用者はいませんよね!」とアピールし、大学卒業後リクルートへ就職することができました。営業の仕事の楽しさもさることながら、「将来は起業したい」と思っていた僕にとって多様な経営者と接する経験ができるリクルートはうってつけの場だったのです。

「自分が起業するんだったら」という視点で営業にまわる

僕は営業を通じて3,000人ぐらいの経営者と出会いました。「営業をしなければ」という仕事としての感覚よりは、「話を聞きたい」という思いが強かったように感じます。

採用のお手伝いをしているので、「人」についての考え方はもちろん、「なぜこの仕事をしているんですか?」「どうしてこの社名にしたのですか?」といったことまでどんどん聞きました。純粋に興味がありましたし、「自分が起業するならば」という考えを深めたかったのもあります。

多くの経営者と出会う中で僕が感じたのは、「儲かるだけではおもしろくない」ということです。

いつか結婚して子どもが生まれたとき、「お父さん、この仕事をしているんだ」と自信持って言えるような会社にしたいと思い続けていました。とはいえ、営業はできるがことさら特別な専門性がない自分に何ができるのか。そして、誇りを持てるような会社とは一体どのようなものか。そんなことを考えると、自分がどの領域で起業すべきなのかがますます見えなくなっていったのです。

「娘と結婚したければ、会社を継げ」の言葉で事業を継承

リクルートに入社して5年目に、僕は学生時代から付き合っていた女性との結婚を決意します。実家は家業をしているとは聞いていましたが、何の会社なのかもよくわからないまま両親への挨拶にいきました。その時に、のちに義父になる彼女の父に言われた言葉に僕の人生は大きく左右されることになります。

「娘と結婚したければ、会社を継げ」

驚きましたが、「迷い」よりは「やってみよう」という気持ちが先にたちました。彼女と結婚したかったですし、「経営者になろう」と思いながら決断をできずにいた自分を省みて、収入が下がったとしても挑戦してみたいと思ったんです。それに、リクルートで培った営業力があればどんな会社であろうと何とかなるだろうという目算もありました。

リクルートの上司には、「妻の実家の家業を継ぐので1年後に退職します」と告げました。すると、思っていなかった程の大反対にあいます。上司には、「おまえのために海外研修の枠を用意するぞ」「お義父さんに会わせろ! 俺が話をつける」などと言われました。当時の僕は自分が経営者として入社する大都の業績も把握していなければ、業界の仕組みもわかっていませんでした。そうした現実に目を向けていない僕を上司は心配していたのだと思います。

「儲からない仕組み」に、働く楽しさと夢を失う

大都に入社してすぐに上司が心配し続けていた意味を理解しました。

業績はボロボロ。「売上は?」と尋ねても誰も正確に把握していない。月ごとの営業目標といったものもありません。また、社内には、28歳で入社した僕よりも15歳以上年上の社員しかいませんでした。

大都は工具をメーカーから仕入れて、それをホームセンターや金物店に卸す問屋業を営んでいました。最初の頃、僕は持ち前の営業力でどんどん新規開拓をしようと勇んでいました。リクルートで培った飛び込み営業のスキルが生きるはずだと思っていたんです。

新規の取引先のところに行くと、「じゃあ、その商品いくらにできるの?」と聞かれます。同じ商品を今より高いところから仕入れるはずがないので、これまで1000円で仕入れてきていたものであれば「990円にできます!」と言わざるを得ません。

大規模な問屋であれば、大量に仕入れることができるので、仕入れ値を下げて、大量にさばくことができます。しかし、大都にはそれは難しい。そのため、新規開拓したとしても儲けを得られない顧客がどんどん増えていくだけでした。

持ち前の営業力を発揮しても儲けが出ない。その現実に直面してからは、毎日トラックに乗って注文を届けるだけの日々が続きました。そんな毎日に、僕は夢を持てなくなっていきました。あんなに楽しかったはずの仕事が全く楽しくなくなってしまったのです。

「本当におまえがいっていい場所なのか?」、退職する際のリクルートの上司の言葉が思い起こされました。

「リクルートに帰りたい……」

ついにはそんな呟きが漏れました。

たった一人の新規事業eコマースへ踏み出す

腐っている僕のことなどお構いなしに、会社の業績は悪化の一途をたどりました。決算書の赤字額は膨らむ一方。そもそも儲かる余地のない仕組み。このまま卸売業を続けていても立ち行かない。3年経った頃、僕は「新規事業を立ち上げよう」と決意しました。

最初はリクルートでのノウハウや人脈を生かせる事業が効率的かと思いました。しかし、それは果たして大都ですべきことでしょうか。そこで僕は自社の強みを改めて分析していくことにします。

その結果、長年関係が続いている200社ほどのメーカーは大都の資産であると気づくことができました。一方で、卸先であるホームセンターや小売店は価格至上主義で、いくらでも仕入れ先を変えていく。そのため残念ながら資産とは呼べないと気付かされました。

そこで僕が思いついたのが、メーカーから仕入れた商品をホームセンターなどに卸す問屋業ではなく、インターネットを通じて直接売るeコマース事業でした。

2002年、インターネットはまだ黎明期。僕はリクルート時代にも紙媒体ばかりでWEBには触れたことがありませんでした。ズブの素人でしたが、自分でホームページ・ビルダーを勉強し、コツコツとサイトを制作。その後楽天市場などにも出店していきました。

忘れもしません。最初に注文いただいたのは福島県のお客様でした。「インターネットってやはりスゴイ!」。これまで商品を届けてきた関西圏内から遠く離れた福島県の地で、僕らの商品を見つけて購入してもらうことができる。インターネットの可能性を改めて実感した瞬間でした。

全社員解雇、ゼロからスタートの決断

日中は問屋業の配送に走り回り、仕事が終わってから夜な夜なECサイトの運営を続けた結果、1年半で売上100万円を突破することができました。100万円を稼ぎ出すことができれば、1人雇っても給料を払うことができます。早速求人チラシを作り、パソコン業務が得意な社員を雇用しました。昼間その社員がECサイトの対応をしてくれるようになり、売上は劇的に伸びていきました。

問屋業とECサイトとでは利益率も全く異なります。「問屋一割」といわれる通り、450円で仕入れたものを500円で売るのが卸売の世界です。それがインターネットを通じて販売すれば、450円で仕入れたものを小売販売店価格の1000円で売ることができる。業績悪化が続く大都にとって、こんなにありがたいことはありませんでした。

しかし一方で、EC事業は堅調であったものの本業である問屋業はいよいよ厳しい状況に追い込まれ、会社の存続すら危ぶまれるようになります。「もはやここまでか……」。僕は意を決して、義父と税理士と一緒に廃業シミュレーションを行いました。

「今ならば清算できる」という税理士のアドバイスを聞いた義父は僕に、「なんとか会社だけは残してくれないか」と絞り出すように言いました。義祖父の代から続いた会社……。潰さない方法を捻り出す使命を、僕は背負ったのです。

僕はまず問屋業を担う社員に「会社は本格的にまずい状況です。1年間続けてみて立ち直らなければ、廃業するしか道はないので、そのつもりで頑張りましょう」と伝えました。この一言で危機感を持って、持ち直してほしいと願っていました。しかし、目論見は外れ、社員の様子は全く変わりませんでした。長年の、「納品さえしていればよい」という慣習が染み付いており、「会社をなんとかしよう」「数字を上げてみせよう」と努める社員はもはやいませんでした。

1年後、大都の赤字は全く改善していませんでした。きっと僕は恨まれているでしょう。なぜならば、退職金を払い、長年問屋業を担い続けてきた古株の社員たちに解雇を告げる道を選んだからです。

「Do it yourself.」の文化を広げる会社を目指す

創業70年を迎えるタイミングで、大都は先代から引き継いだ売上も従業員も失いました。そして、eコマース企業へと大きく転身を図ったのです。

ECサイトの売上が少しずつ安定してきた頃、東日本大震災が起きます。東北や関東で物資が不足する中、大阪府でECサイトを営む大都はブルーシートやスコップなど復興のための物資を届けることができました。

最近ではDIYという言葉が一般的になりました。日本語では「日曜大工」と訳されますが、本来の意味は「Do it yourself.」。これは、第二次世界大戦で焼け野原になったロンドンの街を自分達の手で復興させる国民運動が由来です。僕らが販売しているのは確かにDIYアイテムですが、単なる物を売っているのではなく、「自分達の手で作り上げる」という文化に貢献しているのだと最近強く思っています。

僕はDIYをより身近に感じてもらうおうと、ECサイトだけでなく大阪と二子玉川にDIYファクトリーというリアル店舗を出店しました。さらに、自社商品の開発やアプリ開発にも動き出します。

また、大都は文化をつくるパブリックドメインなビジネスをしているという自負から、会社もパブリックにしようと上場を視野に入れ、2015年にグロービスから、2017年にはカインズから出資を受けました。上場は決してゴールではないですが、より広く世の中に認められる会社になって社会にDIYの文化を広めたいと考えたのです。

しかし、僕の目論見はあまりうまくいきませんでした。問屋業をやめる際に「選択と集中」の重要性を理解していたはずなのに、いつの間にか理念が先行し、多様な事業を進めすぎていたのです。

経営者として、展開していた事業へストップをかけることは勇気のいることです。しかし、再び大都を存続の危機にさらすわけにはいきません。僕は、その他の事業をやめ、再びeコマース事業一本に絞り、上場も白紙に戻すことを決断しました。こうした僕の決定を受けて、会社を離れていく社員もたくさんいました。そして、2019年には社員は半数まで減ってしまったのです。

しかし、ここで驚くべきことが起きます。社員が半減したにも関わらず、大都は過去最高の業績を記録したのです。それだけでは終わりません。さらに翌年もその記録を上回る実績となりました。この出来事には、改めて一つの事業に集中し注力する重要性に気付かされました。これから同じ過ちを繰り返さずに、どう大都を成長させていくか。僕の挑戦は続いています。

「やるべきことを好きになる」幸せなキャリアの創り方

2011年、義父からバトンを引き継ぎ正式に僕が社長となりました。義父は、自分が大切に守り継いできた事業に対してたくさんの思い入れがあったはずです。しかし、「会社を残してくれ」ということ以外、最後まで僕の決断に何も口出しはしませんでした。

今振り返ると、義父から苦言を呈されていたら僕は苦境を乗り越えられなかったと思います。おそらく、会社が危うい状態の中、僕が本当はしたくないような決断もしているのだとよく理解してくれていたのでしょう。「後継者を育てるためにはバトンを渡す側が無用な口出しはしない」ということを、義父は身をもって示してくれました。

現在の大都は、「ハッピートライアングル」というミッションを掲げています。これには、大都もお客様も取引先も三者がハッピーになるビジネスをするという信念が込められています。このミッションの背景には、問屋業を営む中で苦しんだ体験があります。関わる全ての人が幸福でなければ事業の持続可能性はありません。

僕は、これからも大都の3代目として会社と共に生きていきます。そして、もう一つ力を入れていきたいことは、社団法人ベンチャー型事業承継の理事として事業承継者の成長を後押しすることです。

日本の約9割の会社は中小企業で、その数だけ跡継ぎがいます。その後継者の個の力が、5%でも底上げされていけば、日本は大きく変わるはず。大都に入ったばかりの僕のように夢を失っている後継者を励まし、歴代の社長から引き継がれてきた資産を見出すサポートをしたいと考えています。

よく「好きなことを仕事にすると幸せ」といいますが、僕はそれだけが働く幸せではないと思っています。本当の幸せは、「自分がやるべきことを好きになる」ということではないでしょうか。後継ぎとしてやるべきこと、あるいは、自分が今やっていることを好きになっていく──。そうすれば、どんな人でも幸せに働いていくことはできるはずです。

山田岳人のキャリアモデルキャンバス

リクルートの最前線で営業を経験した後に、中小企業の3代目後継者となった山田氏。会社の命運を左右する判断をくだしてきた山田氏のキャリアはどのような考えに基づいて形成されたのか。

Value ─キャリアを通じて提供したい価値は?─
→仕事の楽しさ

「会社のコアバリューの一つに『enjoy』を据えています。リクルートの頃から、とにかく仕事は楽しまなければ成果は出ないと思い、周囲にもそう伝えています」

Customer Relationship ─周囲の人とどう接する?─
→どしどし質問をする

「他人のプライベートに踏み込むような質問をどんどんします。このご時世には、嫌がられるかもしれませんが……(笑)。人と人とは、自分との共通点を掘り当てられれば、グンと仲良くなれるもの。その瞬間を大事にしたいです」

Channel  ─自らの考えをどう届けている?─
→SNSを活用

「社員に対しては社内向けのグループウエアで気になったニュースなどをシェアしています。社外にはFacebookを用いて、1日1投稿、自分の考えなどを伝える機会を設けています」

Customer Segment ─誰の役に立ちたい?─
仕入先・自社・顧客の役に立ちハッピートライアングルを実現する

「僕は仕入先・自社・顧客の三者の役に立ちたいと思っています。誰かが我慢している状態に、持続可能性はありません」

Key Activity ─キャリアを通じて行っている行動や活動は?─
→とにかく「人と会う」!

「人と会うことで想定していなかったような展開になることが多くあります。例えば、僕が学びに行ったことをきっかけに、グロービスが大都に出資してくれることとなりました」

Key Resource ─原動力となる能力やスキルは?─
→他者に興味を持つ

「営業力の根本は“人への関心”だと思います。リクルート時代から人の話を聞くことが好きなんです。しかも人間関係の上下なく、フラットな対話が大事。ちなみに、大都では全員にイングリッシュネームを付け、僕も社員から『ジャック』と呼ばれ、話しやすい雰囲気を作っています」

Key Partner ─自身のキャリアの重要な協力者は?─
→歴代の名経営者たち

「協力者ではないですが歴代の名経営者の著作を読み、大きな影響を受けています。特に、稲盛和夫さんや江副浩正さんの本はすべて読んでいます」

Cost ─キャリアのために投資していること、犠牲にしていることは?─
→声をかける時間と勇気

「『ちょっと今は声をかけない方がいいかな』と躊躇する瞬間てありますよね。しかし、そのタイミングを逃すと一生会えないかもしれません。だから僕は後悔しないように気になったら必ず声をかけるようにしています」

Reward ─あなたは働くことを通じてどんな報酬を得たい?─
→社会の変容

「例えば、『DIYで暮らしが豊かになった』『子どもが自分の部屋をすごく大切にしてくれるようになった』といった声を耳にすると、この上なく嬉しいです。また、社員が成長し、自走する姿を見ると、経営者をしていてよかったと感じます」

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編集:野垣映二(ベリーマン)
執筆:佐藤智
撮影:小池大介

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