【ワークスマフィア】課題解決が仕事。爆速成長を実感し続けたワークスで学んだこと
THE MAFIA
特定の企業から輩出された優秀な人材とそのネットワークを「◯◯マフィア」と呼ぶ。マフィアたちはどのような経験を積んで、キャリアを構築しているのか。今回は、大企業向けERPパッケージを提供するワークスアプリケーションズ マフィアが集結。オンライン薬局を展開するミナカラ創業者の喜納信也氏と、地方都市にソーシャルコワーキングとコミュニティテックを展開するATOMicaのCOO嶋田瑞生氏、自宅で歯並びが整えられるリモート矯正を提供するOh my teeth代表の西野誠氏に、ワークスアプリケーションズで学んだこと、今に生きていることを語っていただいた。
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ぶっ飛んだ人の多い、ワークスを選択
──新卒でワークスアプリケーションズ(以下、ワークス)を選んだ理由を教えてください。
喜納 僕は薬学部を卒業後、薬剤師の道には進まずにワークスを選びました。理由は、大学時代にいろんなベンチャー企業でインターンを経験したことで、ベンチャー企業に入社した方が面白そうだし、より成長できそうだと感じたからです。
その中でもワークスは、とにかく成長機会を得られそうだと思って入社しました。実際、思う存分働けて、ひたすら成長機会を得られる会社でした。
──薬剤師の道は全く考えなかったのでしょうか?
喜納 実は入社1年目から、副業で薬局の薬剤師もしていました。日中はワークスでフルに働き、その足で夜間に薬局に行って薬剤師の仕事をして、その後またオフィスに戻って仕事をする、ワーカーホリックを楽しむ日々でした。
というのも、1年目から3倍速で成長したいと思って、ワークスでたくさん働こうと考えたのですが、周りの優秀な人たちも思いっきり働いているから、単純に頑張るだけでは勝負にならないと感じたから。
だから、パラレルワークで経験を重ねることにしました。
西野 喜納さんもそうですが、ワークスの先輩や卒業生はぶっ飛んでいる人が多いんですよね(笑)。
僕が最初に驚いたのは、会社の説明会で人事の鈴木健祐さんという方にラップを披露されたこと。社会人としてバリバリ仕事をこなしつつ、ラッパーとしての人生にも本気で取り組んでいました。
「成果にコミットしたら、何をしても自由」とはよく言われますが、ワークスの人たちは本当にそれを体現していたんです。だから僕もワークスの人たちのような大人になりたいと思って入社を決めました。
嶋田 僕は学生時代、牧野さんと出会ったことがきっかけです。大学1年生のときに「教育×ゲーム」の領域で起業していた僕は、起業家の大先輩である牧野さんの話を聞くために、講演会に行ったことがありました。
当時のワークスは、これからグローバルで勝負をするぞというタイミングで、50代のおじさんである牧野さんが「世界を変える」と熱く語っていた姿が強烈だったんです。
公演後の懇親会で学生の僕にも熱く話しをしてくれて、今までの人生で出会った人の中で一番暑苦しいおじさんが作ったワークスという会社に惹かれました。こんな魅力的な人が創ったのは、いったいどんな会社なんだろうって。
仕事の幅に制限はない
──入社後は、どんな仕事をしていたのでしょうか。
喜納 僕は企業に業務を良くするシステムを導入し、導入後も業務改善をするコンサルタントの部門に配属されました。
でも、ワークスの仕事に制限はないので、そのうち「ユーザーの生産性を上げるなら社内の生産性も上げるべきだ」と社内のコールセンターを立ち上げたり、開発担当と一緒に社内ツールを作ったり、6年近くの在籍中に7回の異動を通して、いろんな仕事を作っていました。
──7回の異動ですか。
喜納 目的もやりがいも明確な異動が多く、打診が来たら喜んで異動していたんです。異動が要求される背景として多いのは、異動先に人が足りない、もしくは何かしら課題が生じていること。
普通の会社なら誰も行きたがらないと思いますが、僕も含めてワークスの人たちは炎上しているところに首を突っ込みたがりで、異動するのが楽しかったです。
嶋田 高い問題解決能力が求められる場所に身を置きたい感覚はありましたね(笑)。
僕はアプリケーションデザイナーとして入社し、製品の企画からデザイン、開発、顧客導入までを担当していました。
でもそれは最初だけで、気がついたら“何でも屋”として、本業が半分、クライアントのお困りごと解決が半分を占めるようになっていました。
西野 僕はエンジニアとして開発業務に加えて、基盤技術のクライアントへの説明や、外国人開発者のマネジメントなどをしていました。
海外の開発者から国内のコンサルタントや営業に情報が行き届かない問題があり、それを解決するための社内ツールを作るなど、エンジニアとして作りたいものを作れるというやりがいのある環境で楽しかったです。
全員が腹落ちしていた行動指針『Works way』
──ワークスの印象的なカルチャーを教えてください。
喜納 職種や所属に関係なく、問題解決をしまくるカルチャーがあったよね。
西野 特に誰かにお願いされたわけではないけれど、問題を見つけたら解決しに行くのが通常運転でした。
嶋田 「問題解決が仕事だ」と口すっぱく言われていたし、それが当たり前でしたからね。しかも、その考え方に『Works Way』というカルチャーが、きれいに紐づいていたのが気持ち良かった。
──『Works Way』。行動指針ですか?
嶋田 「他責NG」「なぜなぜ思考」「コンティンジェンシープラン」「ブレークスルー」「ヒューマンスキル」といった要素によって構成される行動指針です。
僕はその中でも「なぜなぜ思考」と「他責NG」に影響を受けています。
問題の本質を追求するために「なぜ」を繰り返して考え尽くすし、どんなことがあっても他者や環境、条件などのせいにしない。仕事だけでなく、僕が生きる上でも大切な指針になりました。
西野 これがカルチャーとして、一人ひとりの血肉になるくらい浸透していたのは、すごいことですよね。どの会社にも行動指針があると思いますが、全員が腹落ちした状態で、真っ直ぐに取り組む会社は、なかなかないと思います。
──なぜ浸透していたと思いますか?
喜納 わかりやすい言葉だし、人事評価にも組み込まれていたからだと思います。実際、今振り返っても他責な人はいませんでした。
嶋田 それに、Works Wayは自分のためになるし、的を射ているんです。問題を解くための武器がWorks Wayなので、世の中にあるほとんどの会社はこのカルチャーでいいんじゃないかと本気で思いますよ。
無茶振りも嫌じゃない。爆速成長を実感
──ワークスでの印象的なエピソードを教えてください。
嶋田 心に残っているのは、入社2年目のときに一人で任されていた大きなプロジェクトです。
信頼を得られるようになって、僕1人をクライアント10人が囲む週次のミーティングも和気あいあいとできるようになった頃、事件が起きました。
僕はいつも通り「滞りなく進めているので、あとは任せてください」と伝えると、奥に座っていた先方の部長から「私は社長に何を報告したらいいのか。嶋田くんがオッケーと言ってるから大丈夫だと報告したら良いのか」と言われてハッとしたんです。
仕事にもクライアントにも慣れ、少し怠慢になっていた自分に反省し、「来週までにすべて報告できるよう資料を準備します」と伝えました。そこからの1週間は自分でも爆速成長できた時間だったと思います。
部長が社長に過不足なく説明できるよう、命懸けで「伝わる・使える資料」を作成し、当日は緊張しながらもプレゼンすると、「ありがとう、バッチリだ」と言われてホッとしました。
僕を信頼して託してくれたマネージャーにもクライアントにもすごく感謝しましたね。
──大手を一人で担当していたのですね。
嶋田 基本的に、みんなそうです。他に頼る人がいないから、責任を持たざるを得ない構造になっていたんですよね。新卒の未経験でも信じて任せ切るのがワークスのすごさだったと思います。
西野 たしかに、僕もエンジニアは未経験でしたが、基盤テクノロジーに携わる日本人は1割もいなかったので、海外との橋渡しも含めて任されていました。
大変だったのは、営業メンバーの売る力とコミット力が高く、新卒の僕からすれば無茶なオーダーも度々発生していたこと。たとえば、旧製品から新製品への移行に通常なら1ヶ月程度かかるのを1週間で開発して納品するなんてこともありました。
ただ、こういう無茶振りは、全然嫌じゃなかったんです。
営業もエンジニアもユーザーに価値を提供することにコミットしていたし、僕は営業にうまい巻き込まれ方をしていたので(笑)、無茶振りのたびに成長を感じていました。
──無茶振りでも気持ちよく巻き込まれていたのですね。
西野 これもカルチャーの一つで、周りの人を巻き込み、コラボレーションすることを「スピルバーグ」と呼んで推奨していたんです。
嶋田 仕事だけでなく、僕の同期は750人もいるのですが、それもいい人をどんどん巻き込んでいくスピルバーグの思想。採用に上限なんて設ける必要がない、いい人は巻き込んでコラボしよう、と。なかなかすごい意思決定だと思います。
自分はどうしたいのかを考える癖
──ワークスではどんなことを学びましたか?
喜納 僕はアンラーニングすること。どんな状況でもゼロリセットをいとわず挑戦し直していくことです。
入社後すぐ大手企業のプロジェクトを一人で担当することになったのですが、右も左も分からない状態だったのでクライアントから「なんで学生みたいなやつを送り込んでくるんだ」と叱られていたんですね。
最初こそ謝ってばかりでしたが、わからないなりに必死にキャッチアップしながら素直に学んだ結果、徐々に認められるようになりました。当時は社内外問わず迷惑をかけましたが、すごく成長できたプロジェクトだったと思っています。
それから、自分のリソースだけで何かをやろうと考えるのではなく、周りの人のリソースを遠慮なく活用するのもワークスで学んだことの一つ。助けが必要なときは遠慮なく助けを求めリソースを調達していました。
たとえば、プロジェクトの緊急対応が同時に複数件重なったとき、すぐに動けるのが僕と経営陣しかいませんでした。一つは簡単な作業で解決するものだったので、経営陣に動いてもらったのですが、それが最善であると判断されれば実行される環境でした。
それくらい、役職に関係なくリソースを活用できる会社でしたね。
西野 僕が学んだのは、理想から考えること。常に理想は何か、何をしたいのか、どの状態がユーザーにとって理想なのかをゼロベースで考える癖がついたのはすごく良かったと思っています。
嶋田 それ、わかる! 常に「君はどうしたいのか」と問われていたから、起業してからも常に「どうしたいんだっけ」と考えるのが癖づいている。その上で、Works Wayという戦い方が身についているのは、ものすごく強みになっていると思います。
社員向けの理念が、成長を貪欲に
──ワークスでの経験は、今のキャリアに生きていますか?
嶋田 経験はもちろん、今の事業にも反映されています。
ワークスには、各部署のメンバーの声を吸い上げて部署横断で共有し、組織の問題解決につなげる「アドミンスタッフ」というコミュニケーション専門職が100名以上いたんですね。
アドミンスタッフは牧野さん直下のチームで、社内に満遍なく配置することで、社内コミュニケーションを円滑にしていました。
そもそも、比較的発信することを苦手とする人の多いエンジニアが多数を占めるこの会社に、アドミンスタッフを配置する発想が素晴らしくて、人と人がうまくつながることで、いろんな化学反応が生まれていました。
そこで、人に向き合うことの面白さや、人と人をつなげて化学反応を起こす面白さに触れたこともあって、僕も今、人に向き合った事業を展開しています。
喜納 僕も、ワークスのカルチャーは起業後もそのまま引き継いでいます。経営の観点で素晴らしいと思うのは、ワークスには企業理念が2つあったこと。1つは社会に対するもので、もう一つは社員に対する理念です。
会社として社会貢献をするのは当たり前ですが、「社員の成長に貢献する組織であること」を会社の存在意義として明確に掲げていたのは、本当に素晴らしいと思いました。
そういう会社で働き続けたいと思うから、僕も社会と社内それぞれに対する理念を作りました。
嶋田 社員向けの理念を意識する人の方が多かったですよね(笑)。
喜納 それがあったから、ワークスは自分の成長機会を得ることに全員が貪欲になれたのだと思います。最強の仕組みでした。
頼れる人が一人でも多い環境を作りたい
──皆さんはワークスを卒業後に起業されています。どんなきっかけで起業し、現在はどのような事業を展開されているのかを教えてください。
嶋田 僕は、元々全然起業という選択肢を考えていなかったのですが、ワークスOBの素敵な共同創業者との出会いをきっかけに、気づいたら起業をしていました。
僕のワークスの入社きっかけも牧野さんとの出会いですが、これまでの人生、本当に豊かな出会いに恵まれたなと思ってます。
素敵な出会いは「この人と出会わなかったら、きっとこんなことしなかった」といった、想像を超える体験ができることなので、すごく好きなんですよね。
そんな心躍るような素敵な出会いが、日本中や世界中に溢れたら嬉しいと思って、株式会社ATOMicaを設立しました。
今は日本中の地方都市に対してソーシャルコワーキングというスペース&サービスを展開しつつ、コミュニティテックの企画開発をしています。
ソーシャルコワーキングとは、「気持ちの良い施設利用体験」「気持ちの良いコミュニティスタッフ」「機会創出を促すコミュニティプログラム」「スタッフやスペースの機能拡張のためのコミュニティテック」の4つの価値から構成される新しいコワーキングの仕組みです。
「出会いを創る」といっても、見ず知らずの2人を急につなげても気持ちの良い出会いは生まれないですよね。でも、「こんなことに困っていて、相談にのってもらえませんか」「こんなことをしたいので、一緒にやりませんか」と、人と想いがセットになっていると気持ちよくつながれるんです。
だから、地域の多種多様な人とその願い・想い・相談を集めてつなげて、出会いや共創を生み出すために、この事業を始めました。
最近はソーシャルコワーキングの一要素だったテック領域が伸びているので、その領域での事業も生まれています。
──地方都市に出店した理由は何でしょうか?
嶋田 地方と大都市の機会格差に不満があるからです。
東京は人が大勢いるので出会いの機会が無限に存在しています。一方、地方都市は少子化や人口流出に伴って、出会いの総数が減っている。
だから「どこに住んでいても、どんな場面でも、誰もが仲間を経由することで、無限の機会に出会える場と仕組みを実現する」をミッションに、課題の大きな地方都市から価値を届けたいと思って地方から展開しています。
圧倒的にスマートな歯医者体験を作りたい
西野 僕は「良い歯医者体験」を作りたいと思って、起業を選択しました。
──どんな体験ですか?
西野 昔から歯医者が苦手だったんですね。印象的な出来事としてワークスを退職後、しばらくは各地を転々とする多拠点生活を堪能していたときに、煩わしかったのが歯医者でした。
2ヶ月に1回、歯のメンテナンスのため歯医者に行っていたのですが、全国の歯医者で患者のデータが共有されていないから、歯医者を変えると必ずレントゲン撮影が必要でした。
毎回同じ工程を踏むのが面倒だったし、そもそも予約のために電話をかけるのも、予約したのに待たされるのも嫌だった。ガラケーからスマホになり、キャッシュレスが普及しても、なぜ歯医者はずっと変わらないのだろうと疑問で。
もっと良い歯医者体験は作れないものかと考えたとき、歯医者体験の中でも最初に解決すべきは歯科矯正だと思ったんです。従来のワイヤー矯正は100万円以上必要な上、期間も長期にわたるため、3割の人が挫折しています。しかも、同じ歯科医院に通院する必要もある。
そこで、「高い」「続かない」「通院」の3つの課題を解決すべく、リモート矯正サービス「Oh my teeth」を立ち上げました。
これは、最初にOh my teeth専門の矯正歯科で歯型を3Dスキャンすると自宅に透明マウスピースが届き、それ以降はLINEでのサポートを受けながら歯科矯正ができるというもの。
初回以外は原則通院の必要はないし、前歯に特化したプランなら一律33万円、平均3か月で矯正が完了します。
現在、透明マウスピース矯正業界にはいろんな企業が参入していますが、Oh my teethの強みは圧倒的な顧客満足度。予約から歯科医院での体験、矯正生活まで一貫したユーザー体験を提供しています。
現在は、ビジョンに共感してくれた歯科医と共に、東京・表参道と大阪・心斎橋にゼロからOh my teeth専門の矯正歯科を作っており、今後は全国展開を目指しています。
何十年も変わらない医療体験を変える
喜納 僕はもともと起業ではなく、大手医療系ベンチャーへの転職を考えていました。一人でやるよりも、大きなリソースを活用しながら医療業界の課題を早く解決したいな、と。
だけど2013年当時は、僕のやりたかったコンシューマー向け医療サービスを提供する会社がなかったので、起業に挑戦しました。
──解決したかったのは、どんな課題でしょうか?
喜納 僕が変えたかったのは、30年も40年も変わらない医療体験です。
体調が悪くなって病院や薬局に行くと、待合室で1時間待たされるのはザラですよね。診察自体は数分で終わっても、お会計も待たされて、さらに薬をもらうために病院の外にある薬局にも行く必要があります。
この体験を患者の視点で良くしたいと思い、病院や薬局に行かなくても30分以内に必要な薬が手元に届き、健康に不安なことがあれば簡単に医療情報にアクセスできる環境を作るべく、オンライン薬局のミナカラを設立しました。
創業からの7年でいろんな事業を立ち上げ、医療情報を一般の方にもわかる言葉にして届けるメディア事業や、チャットで医師や薬剤師が質問に答える医療サポート事業、市販薬や処方薬がデリバリーで届く事業などを展開しました。
最近では、処方薬や市販薬をコンビニで受け取れるサービスや、ミナカラのプライベートブランド商品の発売、地方でのドローン配送など、新しい取り組みを次々と実現させています。
つながり続ける、ワークスの人的ネットワーク
──ワークスでの経験は生きていると感じますか?
喜納 ワークス時代の人的ネットワークには本当に助けられています。
人材採用・育成の仕組みやカルチャーを作ってきた人たちには相談し続けていますし、元代表取締役COOの阿部孝司さんには、今も2週間に1回は相談に乗ってもらっています。
それに、ワークス出身の経営者が集まって勉強する会もあるし、最近では500人以上いるワークスアルムナイのFacebookグループに、牧野さんが「私も卒業生です」とフランクに入ってきました(笑)。
卒業生とのネットワークは、僕にとって貴重な財産です。
嶋田 僕も、起業して1年が経った頃、牧野さんに事業内容を話す機会がありました。
「IT・首都圏・大企業」といったイメージの強い牧野さんに「不動産&コミュニティ・ローカル・地場企業」といった、ある種真逆の領域を相談したのですが、その場でハッとするようなフィードバックがたくさんあって。
なかでも「お前は田舎の都市化を進めたいのか? それとも各地の魅力をうまく引き出して田舎を田舎のまま輝かせたいのか?」と言われたことが心に残っています。
卒業してもヒントをもらえるのはありがたいと本当に思いますね。
西野 僕も、Oh my teethを始めたとき、最初のユーザーになってくれたのは喜納さんも含めたワークスの卒業生たちでした。
売上の面もそうですが、なによりユーザー体験に対するフィードバックや具体的な提案までいただけて、本当に助けられています。
喜納 ワークスでは「仕事とは、世の中の課題を解決して社会に貢献することだ」と常に言われていたので、僕の意思決定の判断軸が「課題解決と社会貢献」になっています。
2021年10月に、ミナカラを大手企業へグループ入りさせたのですが、その際の意思決定も、少しでも早く社会や業界の問題を解決したかったから。問題解決のスピードが上がるなら、僕にとってはチャンスでしかないと思いました。
目標は、経営に携わっている間に、親でもある牧野さんや阿部さん以上に社会的インパクトを生み出して、親孝行をすること。
僕や嶋田、西野を含めたワークス卒業生の起業家たちが、ワークス以上に社会貢献できる会社を作ることで、いろんな側面から社会をもっと良くしていきたいと思っています。
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取材・執筆:田村朋美
撮影:小池大介