【大川内直子】文化人類学をビジネスに。人文学はキャリアの武器となるのか?

人文学は社会で役に立たない。大川内直子氏が代表を務めるideafundは、そんな固定観念を覆し、文化人類学の行動観察をビジネスとして展開する。日本では、高校3年時の文理選択で68%が文系を選択するというが、文系人材のキャリアに新たなルートは生まれるのか。本記事では大川内氏のキャリアを振り返りながら、それを形成するに至った「9」のファクターをビジネスモデルキャンバス、ならぬキャリアモデルキャンバスで解き明かす。

大川内 直子
株式会社ideafund(アイデアファンド) 代表取締役
東京大学教養学部卒。東京大学大学院より修士号取得。日本学術振興会特別研究員(DC1)内定(辞退)。専門分野は文化人類学、STS(Science and Tecnhology Studies)。大学院終了後、みずほ銀行にGCF(Global Corporate Finance)コースで入行。2018年退社、株式会社ideafund設立。著書に、『アイデア資本主義』(実業之日本社)がある。

文化人類学をビジネスに活かす

日本では人文学系の学問がキャリアに活かされることは多くありません。もっと言うと「活かそう」と思っている人も少ないかもしれません。

私が2018年に立ち上げたideafundは、文化人類学の手法を応用した行動観察カンパニーです。企業からの依頼を受けて、エスノグラフィ(参与観察調査)という文化人類学の手法で、ユーザー・コンシューマーの潜在的なニーズを調査しています。

今の時代は多機能だったり安いからといって商品がヒットするわけではありません。インサイトやアイデアが一層重要になってきている中で、一旦立ち止まって自社の顕在・潜在ユーザーをきちんと理解しようと考える企業が増えているようです。

フィールドワークやデプスインタビューによる行動観察で人間の新しい側面が見えてくる。この発見が私にとってアドレナリンが出る瞬間で、文化人類学の醍醐味でもあります。

結果的に、私は大学院まで専攻していた文化人類学をキャリアに活かすことができているわけですが、別に文化人類学への情熱で今のようなキャリアを選んできたわけじゃなく。わりと、消極的な理由でキャリアを選択してきたような気がします。

「人嫌い」から始まった文化人類学への道

私はずっとアフリカに住みたいと本気で考えている時期がありました。

幼少期から人間嫌い。個別の人間が嫌いというより、人間の営みで地球環境が破壊されている、そんな人間という存在自体に違和感を感じていたように思います。

そこまで友達が多かったり、コミュニケーションが上手なタイプでもなかったので、アフリカで1人で生きていくのもいいかなって。

大学受験のときは、動物の研究をしてアフリカで生きていけばいいかくらいに考えて、東京大学の理科Ⅱ類(生命科学系)に進学を決めました。

大学在学中には実際に何度もアフリカを訪れて、南アフリカ、ザンビア、ボツアナ、チュニジア、ジンバブエなどたくさんの国を巡りました。その度に心惹かれ、エネルギーが湧いてくる感覚がありましたね。

でも、解剖が苦手だった私には結局動物の研究は無理で。

他に、アフリカに住む方法はないか? そんな問いから文化人類学に関心が向いていきました。それで大学の3年生になるときに専攻を文化人類学にしたのですが、けっこう珍しいケースみたいでしたね。

文系修士のキャリアをどう歩むか?

そこから文化人類学にのめり込む学生生活がはじまったのか、というとそうではなく。同級生に誘われて学生ベンチャーもしていたり、あくまで普通の学生と同じような比重で文化人類学に取り組んでいました。

ただ、文化人類学の研究は楽しかったし、コミュニケーションが苦手な私が社会人としてやっていける自信も当時はなかったので、大学に残り研究を続けようと大学院に進学しました。

修士になってからは、大学の研究がどのようにビジネスにつながっていくのか、それ自体を文化人類学の研究対象としていました。

学部時代のベンチャーでの経験をきっかけに、大学で生まれた知見を社会にいかせないかという気持ちが芽生えていたのです。

振り返れば、この頃の研究や思いが、将来自らの専門領域で起業することにつながったように感じます。

しかし、その時点では、さらに博士課程に進みそのまま大学で教えたり、研究者としてアフリカに住むという選択肢もまだ考えていました。

でも当時、文化人類学のアカデミアを閉鎖的だったり村社会のように感じてしまうことがあって。学問に対して自由で開かれたイメージを持っていて、幼稚ですが政治性を忌避していた私は多少幻滅したようなところがありました。

じゃあ、修士を卒業したら社会に出よう。そう考えたときに、文系の院卒にはその専門性を活かせる選択肢が本当に少ないんですよね。

実はないわけではなくて。製品開発をするにあたり、深いインサイトが必要であるといわれ始めた時期でもあったので、例えば日立製作所では、文化人類学の調査研究部門の雇用もありました。とはいえ、企業内で文化人類学の研究をどれほど自由にできるのかは当時の私にとって未知数。

結局、わかってはいたけど、学部の新卒とよーいドンになるんだなと。だったら1回しか切れない新卒のカード。一度どこかに入社してみようと思ったんです。

自分の選択肢が広がるように。そう考えて、最終的に、私はみずほ銀行のGCF(Global Corporate Finance)コースへの就職を決めました。

GCFは個別での採用をおこなっていたため、配属される部署についての具体的な要望を明確に伝えていました。その他、転職市場におけるバリュー、昇進のしやすさなどを鑑みての判断でした。

なぜ、文化人類学で起業?

金融業界を選んだのは、「文化人類学でいつかは起業しよう」と思っていたからです。

大学院を卒業後にすぐに起業するという選択がないわけではありませんでしたが、学生ベンチャーの経営に携わっていたときに、資金をどう調達したらいいか、どう意思決定をしていったらよいかなど、これまで経験したことのない壁に何回もぶつかりました。

お金というのがそれまで自分の興味がなかった分野だったこともあり、ウィークポイントを克服するためにも、資金調達の金額が大きくスキーム・ストラクチャーも最先端のものを直に見られる現場で学び直そうと思いました。

なぜ文化人類学で起業できると思ったのか。実は大学院の時に個人で米国・Googleのリサーチの依頼をいただいたことがあったんです。

文化人類学の調査手法で、数ヵ月にわたるプロジェクトを回すのはとても楽しかったし、学生アルバイトでは稼げないぐらいの金額をいただき、これまで身につけてきた専門性に対して支払われるフィーがあるのだと理解しました。

当時から、アメリカでは文化人類学者がその専門性を活かして企業で働くことが一般的になっていました。文化人類学のアプローチでユーザーを深く調査し、ビジネスに活かす。そのニーズを知っていたので、これから日本でも求められる事業だろうと漠然と思っていました。

調査の仕事は労働集約型なのでビジネスとして大きくするには限界があるし、億万長者にはなれないかもしれない。

でも、少なくとも自分が食べていく分くらいは稼げるだろうし、普通の事業会社で出世するよりも収入面の期待値も高いと思ったんです。

文系の専門性を活かした仕事を作りたい

自分のことを会社勤めに向いていないと感じていたので、銀行に就職しても1ヵ月くらいで辞めてしまうかもしれないなんて思っていましたが、結局は3年ほど勤めました。部署の人たちがいい人ばかりで、当初の希望通り先進的な案件を近くで見させてもらえて楽しかったです。

ただ出産を迎えることになり、あらためて子育てしながら働くことを考えると、自分の会社で仕事をした方が何かと柔軟に動けます。そこで、学生時代から漠然と考えていた起業に踏み切ることにして、2018年にideafundを立ち上げました。

立ち上げ当初は、海外企業からの依頼が多かったです。日本市場に参入する際、日本人の文化や行動様式を知るためにフィールドワークによる調査を行いたいというニーズです。

徐々に日本企業からの依頼も増えて、一人では手が回らないことが多くなり、今では私のほかに文化人類学者が正社員として2名、期限付きの社員が4名在籍しています。

研究費が一時的に途切れている博士課程の学生に1年などの期限付きでお手伝いしてもらうなんてこともあります。すでに文化人類学の調査手法に関する共通認識があるので、少々トレーニングをするとすぐに通用するようになるんです。

会社を大きくしたいとか、そういった展望があるわけではありません。ただ、会社のビジョンとして1つ挙げるとすれば、文化人類学者が自らの専門性を生かせる場を作りたいということでしょうか。

修士や博士で文化人類学を専攻していると、2年間ほどかけてフィールドワークをし、論文を書いて、気づけば30歳になっているといった学生も少なくありません。

そうなると、一般の採用試験は受けにくくなってしまいますし、企業の採用側もどう扱っていいか迷ってしまう。研究者として大学に残れればいいですが、それは狭き門です。

私の身近にも、キャリアにつなげることができず、長年携わってきた研究からフェードアウトしていった人がたくさんいます。

私も新卒のときに自分の専門性を活かせる企業がないと感じていました。あのときの私が求めていた会社。ideafundがそうなれればと、思っています。

大川内直子のキャリアモデルキャンバス

文化人類学とビジネス。2つの世界を横断して、人文学の新しい可能性を示す大川内氏のキャリアはどのような考えに基づいて形成されたのか。

以下のような図版を作成予定です。

Value ─キャリアを通じて提供したい価値は?─
→発見の驚き

「調査をしていると、ステレオタイプで見ていたものがガラリと変わる瞬間があります。カオスな調査データに1本筋が通ったときの驚きですかね」

Customer Relationship ─周囲の人とどう接する?─
→観察しながらも枠にはめない

「人を分析することが好きなのですが、『この人はこうだろう』と枠にはめすぎないことを意識しています。余白を残すことで、新しい視点や工夫が生まれたりします」

Channel  ─自らの考えをどう届けている?─
→知見をアカデミアに還元する

「ideafundで得た知見は、守秘義務を守りつつ、できる限りGLOCOMという研究機関のイベントやセミナーなどで発信しようと考えています。知見は独占するのではなく、共有されるべきだと考えているからです」

Customer Segment ─誰の役に立ちたい?─
→文化人類学者

「文化人類学者としてアカデミアで生きていくことに難しさを感じた人の居場所になれればと思っています。Ideafundは、自由に研究をすることができて、生きる糧も渡せる。そんな場でありたいです」

Key Activity ─キャリアを通じて行っている行動や活動は?─
→選択肢を広げること

「学生ベンチャーをしてみたり、銀行に入行したり、選択肢を広げることを意識してきましたが、一方でそれは何も選んでいないのと同じだという焦りもありました。最近、人類学で行くしかないと腹を括れたように思います」

Key Resource ─原動力となる能力やスキルは?─
→好奇心

「理系も文系も、文化人類学も金融も、私は何をやっていても面白いんです。知らないことを知ることが純粋に楽しいんです」

Key Partner ─自身のキャリアの重要な協力者は?─
→夫

「夫も起業家なので色々と相談に乗ってもらっています。私とは違いリアリストなので、経営やお金のことなど現実的な視点で刺激をもらっています」

Cost ─キャリアのために投資していることは?─
→本の購入

「予算を決めずにとにかく必要な書籍は買いまくっています。他にも、コロナ前は旅行に行くなど、日常から視点を外す機会をできるだけ多く取るようにしています」

Reward ─あなたは働くことを通じてどんな報酬を得たい?─
→調査することが報酬

「調査・分析による発見の喜びが報酬なんです。さらに、クライアントと一緒に、調査を具体的な商品・サービスにつなげることができたら嬉しいですね」

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編集:野垣映二(ベリーマン)
執筆:佐藤智
撮影:小池大介