【ガイアックス】チームで丸ごと起業もOK? 卒業後も関係性が続くガイアックス経済圏

特定の企業から輩出された優秀な人材とそのネットワークを「◯◯マフィア」と呼ぶ。マフィアたちはどのような経験を積んで、キャリアを構築しているのか。今回は、事業を連続して生み出すガイアックスマフィアが集結。定額で多拠点移住生活が叶う「ADDress」を創業した佐別当隆志氏と、デジタル身分証とeKYCのAPIサービス「TRUSTDOCK」を展開する千葉孝浩氏、スマートロックを活用したIoTサービス「Akerun」を提供するフォトシンスの河瀬航大氏だ。ガイアックスでの経験や学んだことを語っていただいた。

 

「Empowering the people to connect 〜人と人をつなげる」をミッションに、1999年に創業したガイアックス。

ソーシャルメディアとシェアリングエコノミー、ワークスタイル領域を中心とした事業を展開しつつ、事業を連続的に生み出すスタートアップスタジオとして、今まで数々の起業家と上場企業を輩出してきた。

一般的にイメージする会社経営とは異なり、ガイアックスに入社すると働く人、場所、時間、仕事内容など自分の全ては自分で決め、自らの意思でどこまでも挑戦できるという。

徹底した自律分散型の組織を通じて、一人ひとりが社会の問題を自分ごととして捉え、より良い社会を作っている。

ガイアックスは“変人”の集まり!?

──ガイアックスと出会うまでのキャリアを教えてください。

千葉 僕は漫画家を目指していたので、大学を卒業後は個人でデザインの仕事をしながら、漫画家のアシスタントをしたり、自分で描いた漫画を応募したりしていました。

TRUSTDOCK代表取締役 千葉孝浩
ガイアックスでR&D「シェアリングエコノミー×ブロックチェーン」でのデジタルID研究の結果を基に、日本初のeKYC/本人確認API「TRUSTDOCK」を事業展開、そして専業会社として独立。CtoC取引や送金、融資、仮想通貨等の口座開設まで、あらゆる法律に準拠したKYC/本人確認をAPI連携のみで実現。デジタル社会の個人認証基盤、日本版デジタルアイデンティティの確立を目指す。

ただ、賞をいただくことはあっても、なかなか漫画の連載にはつながらなくて。4年が経過し、親の目も気になるようになり(笑)、就職活動を始めました。そこで出会ったのが、ガイアックスです。

当時面接をしてくれたのが、後にAppBankを創業することになる“マックスむらいさん”というとにかく面白い人。社内には、いい意味で“変人”ばかりが集まっていて、こんな会社他にはないと思い2004年に入社。2018年までの14年間を楽しく過ごしました。

河瀬 僕は2011年に新卒でガイアックスに入社し、3年半の間修行させてもらって、2014年にフォトシンスを創業しました。

株式会社Photosynth 代表取締役社長 河瀬航大
筑波大学卒業後、ガイアックスに入社。ソーシャルメディアの分析・マーケティングを行い、2013年にネット選挙の事業責任者として、多数のTV出演・講演活動を行う。2014年にフォトシンスを創業。スマートロック「Akerun」を主軸としたIoT事業を手掛ける。Forbes 30 Under 30 Asia 2017にて、アジアを代表する人材として「ConsumerTechnology」部門で選出。筑波大学非常勤講師。

ガイアックスを選んだのは、千葉さんが言うように“変人”ばかりの組織だったから(笑)。就職活動でいろんな会社を周っていろんな人と話をしましたが、ガイアックスはみんなが夢を持っているし、生き様がカッコよかったんです。

一人ひとりが自分の意思で自分のやりたいことを形にしていて、僕もこの人たちのようになりたいと、心底憧れました。そんな会社はガイアックスだけでしたね。

佐別当 僕は2000年の3月にガイアックスのインターン生として入り、5月から社員になりました。

2018年にアドレスを創業しましたが、立ち上げたシェアリングエコノミー協会にガイアックスの立場で出向していたこともあって、正式に退職したのは2020年12月。

──つまり、20年間ガイアックスにいた。

佐別当 そうです。創業が1999年3月だから、インターンで入ったのがちょうど創業から1年が経ったとき。とにかくカオスでした(笑)。

株式会社アドレス代表取締役・シェアリングエコノミー協会理事 佐別当隆志
2000年ガイアックスに入社。広報・事業開発を経て、2016年1月に一般社団法人シェアリングエコノミー協会を設立し、事務局長に就任。副業でシェア時代の家族とゲストの一軒家、「Miraie」を運営。2018年に定額で全国住み放題の多拠点移住サービスを展開する株式会社アドレスを設立。

──2000年当時、インターンをする人はかなり珍しかったのではないですか?

佐別当 まだ、誰もインターンという単語を知らなかったと思います。当時、僕は広告代理店などクリエティブな仕事で社会を変えたいと思って、早いタイミングから就職活動をしていたんですね。

でも、超就職氷河期だったこともあって、全然うまくいかなくて。それなら、もう1年大学に通って、自分に実力を身につけてから挑戦しようと、いろんな活動を始めた頃、ガイアックスのインターンシップを知りました。

インターンに参加すると、仕事はハードだけど、面白い人や変人がたくさんいて、とにかく刺激的な組織だった。

これは、翌年の就職活動で大手企業を受け直すよりも、ここで5年10年を過ごした方が絶対に成長すると確信し、入社を決めました。

事業の前に市場を作る。「ネット選挙」で時の人に

──ガイアックスで学んだことを教えてください。

河瀬 僕は、プロダクトを作る前に事業を作り、事業を作る前に「市場」を作ることを学びました。それを実感したのが、3年目に立ち上げた、ソーシャルメディアを活用したインターネット選挙運動の事業。

当時は、ネット選挙が解禁されたばかりで、本当に盛り上がるのかわからなかったし、僕自身も選挙にそんなに詳しくありませんでした。

でも、インターネットの専門家や選挙の専門家はいても、ネット選挙の専門家が一人もいなくてチャンスだったんですね。

そこで、ネット選挙で何が変わるのか、どんなリスクがあるのかなどを洗い出して、発信を始めました。すると、いろんなセミナーに呼ばれるようになり、自民党で講演をするまでになったんです。

次第に選挙にも詳しくなって、最終的にはネット選挙の専門家として、テレビやメディアに出演するようになりました。

事業から作るのではなく、まずは旗を掲げて市場から作ることで、世の中を動かせることを、若干24歳で学んだのは大きかったです。当時、ガイアックスの株価は最大で50倍に膨らみました。

佐別当 みんな河瀬さんに頭が上がらないですから。

河瀬 いやいや(笑)。佐別当さんにアイデアをもらったから実現したんです。

──具体的に教えてください。

佐別当 僕は個人的に政治とネットをつなぎたくて、Twitterでの模擬選挙運動や、有志が集まってネット選挙運動解禁を目指す「One Voice Campaign」という取り組みをしていたんです。

すると徐々にラジオや新聞で取り上げられ、ネットから生まれた世論がメディアを巻き込んだ結果、本当にネット選挙が解禁されて。

日本で初めてのことだから、「これはビジネスチャンスだよ」と話したら、河瀬さんが手を挙げてくれました。

それくらい、いろんなことをやらせてくれるのがガイアックスという会社。部署を超えてみんな好き勝手やっていたから、ネタはたくさん転がっていて、手を挙げれば何にでも挑戦できました。

──息を吸うように挑戦する文化が根付いているのですね。

佐別当 そうですね。ただ、最初は勢いに乗って挑戦しますが、すぐに挫折を味わいます(笑)。というのも、100万円や1000万円のビジネスは作れても、5億円や10億円のビジネスになると、自分の力だけでは無理だから。

でも、ガイアックスは何回でも失敗させてくれるので、一度失敗して挫折しても、何度でも挑戦の機会を得られるんです。僕もほとんど失敗していますが(笑)、20個以上の新規事業を立ち上げました。

千葉 僕も、後半のガイアックス人生は新規事業開発に没頭していました。陽の目を見なかったものも含めて10個以上は立ち上げたと思いますよ。

自分の人生を自分でコントロールできる

──ガイアックスの印象的なカルチャーを教えてください。

千葉 未来志向で楽観的な人しかいないこと。人に嫉妬する感覚がなくて、ほとんどの人が「Going my way」。足の引っ張り合いもありませんでした。

河瀬 会社という「箱」が用意されているだけの感覚がありましたよね。そこに人が集まって、自分の成長にコミットしながら、自分のやりたい事業をやる。やらされ仕事というものは一つもなかったです。

でもそれは、個人にとっては最高の環境だけど、なんで上場企業がそのスタンスで成立するのか理解できないですよね(笑)。

資本市場と対話しつつ、社員が新規事業に挑戦する。本当にレアな会社で就職活動中も明らかに空気が違っていて、大手企業でもベンチャーでもない、第3のビールのような唯一無二の存在でした。

千葉 珍しいよね。僕は14年間の在籍中に自分の会社を作っているし、自分の人生をコントロールしている感覚がずっとありました。

会社に自分の人生を合わせるのではなく、個人の人生の中にガイアックスがいるというか。稀有な環境だったと思います。

──社内でよく使われていた言葉などはありますか?

佐別当 「当たり前感覚」という言葉はよく言われていました。

たとえば、国内の成長企業をお手本に「こんな事業をやりたい」と提案したとします。でも、「僕らはビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズに勝ちたいんだけど、君はそれで勝てるの?」と言われるんです。

社会を変えようと思ったら、世界を見ないといけない。だから、当たり前の感覚を上げていこう、と。

──つまり、高い視座を持つ。

佐別当 その通りで、新卒でも中途でも、視座が高くないと仕事ができない会社でした。

チームで丸ごと独立もOK?

──会社に属したフリーランスの集まりのような状態ですね。

佐別当 そうですね。新規事業をバンバン立ち上げるから、とにかく人が成長するんです。特に、事業責任者になると数字が読めて開発も営業もできる、小さな組織の社長のスキルが身につきます。

もちろん、すべての新規事業が成功するわけではなくて、失敗の方が多いのですが、間違いなく人が育成される環境なんですね。結果、リタリコやAppBankなどの上場企業の輩出にもつながりました。

現在ガイアックスは、人材育成・輩出機関の側面だけでなく、卒業した起業家に出資するファンド事業で、卒業生もサポートしてくれています。

卒業生としては起業するときに力を貸してほしいし、ガイアックスとしては出資した起業家が上場したら大きなリターンとなって返ってくる。お互いにwin-winですし、ビジネスとしても成立しています。

──ガイアックス社内にいてもやりたい事業を立ち上げられるのに、みなさんが外に出て起業した理由は何だったのでしょうか。

千葉 所属に対しての未練がないというか、起業して外に出るのはガイアックスにいると自然なことなんですね。

しかも僕が起業したとき、ガイアックスのCTOやエース級のエンジニアなど、4人で組んでいたチームが丸ごと外に出て、一緒に会社を作ったんです。誰一人として外に出ることに迷いも躊躇もなかったし、ガイアックスも僕らに出資してくれました。

河瀬 僕も同じで、新卒の同期3名で起業しています。

──仲間を最初から引き連れて起業しているのですね。会社からの引き留めはないのでしょうか?

佐別当 まったくないです(笑)。むしろ拍手喝采で、「君にもタイミングが来たんだね」と、送り出されます。

しかも、独立して最初の頃は、バックオフィス業務をガイアックスが無料で代行してくれるんです。事業に集中できる環境を最初から作ってくれて、人も場所もお金も「どうぞ持っていってください」というマインドがあって。

僕の場合、最初の資金調達の際にVCから「オペレーションができる役員を入れないと出資できない」と言われたんですね。そのときに、ガイアックスの役員が手を挙げてくれて、生まれたてのスタートアップにジョインしてくれました。

上場企業の役員が簡単に移籍するなんて、あまり考えられないことだと思います。

社長発信で誕生した、卒業生コミュニティ

──起業した今、ガイアックスの経験は生きていますか?

千葉 ガイアックスは身内だからといって甘くなくて、役職や立場に関係なく、正しく建設的に議論して意思決定する会社なんですね。

ウェットな優しさがないから、人によっては冷徹に見えるかもしれないけれど、外の世界の交渉にウェットな優しさはありません。

だから、正しく建設的に議論するスキルが、とても役立っています。

河瀬 僕は、ガイアックスで受けた教育がベースになっているので、事業とは別のプロジェクトを立ち上げてみたり、特別な教育体制を導入したりすることで、人を育てることにコミットしています。

──たとえば、どのような教育を受けたのでしょうか。

河瀬 僕は自信だけあって仕事ができない、意識が高いだけの若者だったので(笑)、ひたすら1on1をしてもらいました。

ミスが連発したときは、周りの先輩から「ヒューマンエラーについての考察」という論文がしれっと送られてくるなど、みんなが見てくれていて、然るべきタイミングで必要な情報をいただいていました。

──マネージャーが優秀ですね。

佐別当 ガイアックスは独立採算制でマネージャーはその部署の社長という位置付けになります。採用も予算も戦略も給与も、全てマネージャーが意思決定をする。だから、マネージャーであり続ける限り、成長し続ける構造でした。

──日本企業とは思えない仕組みです。

佐別当 社長の上田さんが、ガバナンスのあり方やファイナンス、組織づくりなどをものすごく勉強して、いろんなものを取り入れて血肉にするのが早いからだと思います。

僕が2000年に入社したとき、すでにペーパレスで紙の資料は使いませんでしたし、一人に一台ノートパソコンが支給され、フリーアドレスのオフィスでした。2000年当時、一人一台パソコンを持つ会社は、かなり珍しかったと思います。

千葉 いわゆる“サラリーマン”ではなく“ビジネスパーソン”であれ、という考えで、そのために必要なアセットが揃っているんですよね。

佐別当 しかも、卒業後も困ったときに何でも相談できるし、「ヒト・モノ・カネ」で力を貸してくれるのがガイアックスの良さ。上田さん発信で、ガイアックスの卒業生コミュニティが作られたほどです。

──卒業生発信ではなく、社長発信ですか。

佐別当 そうです。ガイアックスは起業家を輩出しているから、資金調達や採用、マーケティング、上場などの相談ができる仲間が増えているんですね。

上田さんは、そんな卒業生を応援したいとコミュニティを立ち上げて、卒業生同士の情報共有の機会はもちろん、卒業生もガイアックスの中の人向けに講演やサポートをする、エコシステムができています。

ガイアックスの卒業生コミュニティ

新しい社会を作り、ワクワクする未来を

──ガイアックスを卒業し、それぞれの道に進んでいるみなさんは、これからどのような社会を作っていきたいですか?

佐別当 僕は、2018年に月額4.4万円からの定額で全国住み放題の、多拠点移住サービス「ADDress」を立ち上げました。

僕がこの事業を通じて実現させたいのは、新しい社会を作ること。

定額を払えば、全国各地のどこでも住めますし、メンバー制だから友達も増えて、地域の人たちとの交流も生まれます。住まいが豊かになると、人生や他者との関係性もどんどん豊かになるんです。

そして、僕らが定額でいただくお金は、空き家を改修したり、地元のお祭りに寄付したり、地域の人たちに家を作ってもらうための資金として使っていく。

ADDressを通じて全く新しい社会システムを作り、より多くの人が幸せな人生を送れる未来を作りたいです。

千葉 僕はTRUSTDOCKを創業し、スピーディーかつ安全なオンライン本人確認(eKYC / KYC)を実現するサービスを提供しています。

もともとはガイアックスのR&D事業部から誕生したプロジェクトですが、デジタルアイデンティティ&eKYCの基盤、つまり社会インフラになるべく、2018年に独立しました。

目指しているのは、「お財布から身分証をなくすこと」です。

コロナ禍で、全世界でオンラインの取引や手続きが増加しています。そこで、日本だけでなく、世界中の身元証明や顧客確認問題に取り組むために、シンガポールにも法人を作り、世界展開しました。

ガイアックスのカルチャーだった未来志向を受け継ぎつつ、社会に貢献できるインフラを目指します。

河瀬 僕はネット選挙の次は何をしようかと、土日の空き時間を使って、仲間といくつかのプロジェクトを立ち上げていました。その中の一つである「Akerun」がメディアに取り上げられてバズり、翌月にはガイアックスの仲間とフォトシンスを創業しました。

「Akerun」は高セキュリティなスマートロックを活用したクラウド型入退室管理システムです。

いずれ、鍵はAkerunで開けるのが当たり前の社会、1つのIDで全ての扉を開けられる「キーレス社会」を実現したいと思っています。

そのためにも、千葉さんと同じように「未来志向」を大切にしながら、どんな課題も解決して価値を提供できる実行組織を作りたい。揺るぎない実行力で、未来にワクワクと感動を与えたいと思っています。

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取材・執筆:田村朋美

撮影:小池大介