【アラタナ】宮崎で躍動した「エモい会社」に、全国から人が集まった理由

特定の企業から輩出された優秀な人材とそのネットワークを「◯◯マフィア」と呼ぶ。マフィアたちはどのような経験を積んで、キャリアを構築しているのか。 今回はアラタナマフィアが集結。創業期から約13年間アラタナに在籍し、現在はECサイト運営を行う株式会社refactory代表の守屋将邦氏と、DXをトータル支援するイジゲングループ株式会社の代表取締役会長・鶴岡英明氏、そしてアラタナ卒業後、農家に転向した藤井武雄氏だ。今は無きアラタナで学んだこと、それが次のキャリアにどう生かされているのか、話を伺った。

 

かつて、宮崎を拠点にしたITベンチャー企業「アラタナ」が一世を風靡していたことをご存知だろうか。

2007年に創業後、「新たな◯◯を世の中につくる」をコンセプトに、ECサイトの立ち上げから運営効率化まで、すべての業務をワンストップでサポート。800社を超えるECサイト支援を行ってきた。

そして2015年、ZOZOグループに参画。2020年4月に吸収合併が決定し、アラタナは13年の歴史に幕を下ろすこととなった。

「宮崎で1000人を雇用する」という目標を掲げ、躍進を続けてきたアラタナ。全国から優秀な人材を採用していたため、実は隠れた人材輩出企業でもある。

偶発的な出会いで、東京からU・Iターン

──まずは、アラタナと出会ったきっかけを教えてください。

鶴岡 僕は地元の大分県で、父が経営する会社で1年ほど働いた後、東京のIT企業に転職しました。

最終的には個人事業主としてプログラマーをしつつ、東京での8年間はいろんな経験をしたのですが、転機が訪れたのは2011年。東日本大震災をきっかけに、大分に戻ることを考え始めたんです。

イジゲングループ株式会社 代表取締役会長 鶴岡英明
1983年大分市生まれ。大分大学工学部中退後、東京でSIerやITベンチャー、フリーランスを経験。2011年の東日本大震災後にアラタナ 福岡支社(アラタナ研究所)に参画し、ソーシャルコマースサービスを開発。その後、ITベンチャーのモアモストの取締役として大分に戻り、2013年11月にイジゲンを創業。2021年よりホールディングス制となり、現在はイジゲングループの代表取締役会長 兼 イジゲン取締役会長。クライアントと共同創業したPECOFREEの取締役も兼任。

ただ、いざ大分で仕事を探そうとしても、なかなか見つからない。どうしようかと考えていたとき偶然見つけたのが、当時アラタナ研究所に在籍していた宮崎さんのブログでした。

「宮崎のIT企業アラタナがエンジニアを100人採用して、SNSを活用したソーシャルコマースを開発する。興味ある人は代表の濱渦にFacebookから直接連絡をしてほしい」と。

九州にこんな面白そうな会社があったのかと、僕はすぐ濱渦さんにメッセージを送ってアラタナにジョイン。そして、福岡にあるアラタナ研究所に配属されました。

なお、後に宮崎さんが代表を務めることになるトーフラボは、2021年10月からイジゲングループに仲間入りしていただきました。イジゲングループには僕や宮崎さん以外にも現在5名のアラタナ出身者が在籍しており、深い縁を感じています。

藤井 僕は大学を卒業後、東京の広告代理店で6年間デザイナーとして働いていました。

地元の宮崎に戻ることを考え始めたのは、結婚を決めた頃。東京で子育てをするのは不安だねとパートナーと話していたとき、知人から「宮崎ならこんな面白い会社があるよ」とアラタナを教えてもらったんです。

ホームページを見るとデザインがかっこいいし、社長の濱渦さんのブログがすごく面白かった。こんな会社が宮崎にあるならぜひ仲間になりたいと思って、2012年にアラタナに入社しました。

農家 藤井武雄 
1984年宮崎県新富町生まれ。大学卒業後東京でグラフィックデザイナーとして働いたのち、2012年よりアラタナに入社。デザイナーとして様々なECサイト立ち上げを経験し、新規事業運営にも携わる。アラタナ卒業後、ITベンチャーの専務取締役を経て、農家に転向。これまでの経験を活かしながら、農業に挑戦している。

守屋 僕はアラタナと出会う前、ゴリゴリの営業会社でコピー機の営業をしていました。

当時、働くのはこんなにも大変なのか、スーツを着てネクタイを締める生活を40年も50年続けるのかと、社会人生活に絶望しながら働いていたんですね(笑)。

式会社refactory 代表取締役社長 守屋将邦
2007年、アラタナの創業時に入社。新規事業の立ち上げなどを主な業務として従事。その後はアラタナの当時の子会社(ハニカム、ターミナル)の事業運営を推進。2020年3月末、ZOZOへの吸収合弁のタイミングで退社。4年前に立ち上げていたrefactoryを専業として操業開始。

そんなある日、創業間もないアラタナが、僕からコピー機を買ってくれたんです。納品に行くと、メンバー2人だけのオフィスはめちゃくちゃカッコよくて、2人ともジーパンにTシャツ姿だった。

僕の中で社会人に対する既成概念がガラガラと崩れ、すぐに「アラタナで働かせてほしい」と頼み込みました。

ただ、アラタナは創業したばかりで、お金も採用予定もありません。だから、僕は焼き鳥屋さんのアルバイトで生計を立て、アラタナはしばらく無償で働いていました(笑)。

──無償ですか! それだけ惚れ込んだのですね。

守屋 そうですね。数ヶ月経って給与がもらえるようになりましたが、無償の期間に一度も辞めようとは思わなかったです。

感極まって涙、エモいカルチャー

──アラタナで学んだことを教えてください。

藤井 僕はアラタナで4年半働いたのですが、一番印象に残っているのが最後の1年間、守屋さんと一緒に「アパレルのECサイト」を立ち上げるプロジェクトに参加したことです。

単に新規事業を立ち上げたというより、アラタナの中にいながらスタートアップを立ち上げるようなプロジェクトで、資金調達からサービス設計、プロダクト開発、マーケティング戦略など、あらゆることを数人のメンバーで考えて実行しました。

守屋 結局、大失敗に終わったけどね。

藤井 そうですね(笑)。でも、ゼロから目標を掲げ、それを達成させるために知恵を出し合い、がむしゃらに挑戦する。新しい価値を生み出すプロセスと、最後まで熱量高く挑戦することの大切さを学びました。

それから、アラタナには「グッド&サンキュー」というカルチャーがあって、毎朝グッドとサンキューを発表していたんですね。この文化がとても好きで、誰かに貢献するマインドを持って、日々挑戦することの大切さを教えてもらいました。

鶴岡 僕がアラタナ研究所で学んだのは、コミュニティやカルチャー、カオスの作り方です。

アラタナ研究所は常時オフィスを開放していたので、毎日ひっきりなしに福岡のスタートアップ経営者やエンジニアが集まっていて、福岡のスタートアップコミュニティの爆心地になっていたんですね。

組織の壁を超えて、いろんな人が集まるカオスな状況からは、新しい価値や可能性がたくさん生まれていました。ここで学んだのは、取り繕うのではなく一人ひとりが“ありのまま”の姿でいることの重要性です。

それがコミュニティの自然発生的な創出と、自由で熱量の高いカルチャーを作っていました。

アラタナ本社で学んだのは、組織づくりにおけるエモーショナルの大切さです。アラタナは半期に一度、全社集会を開催していたのですが、そこで社長が感極まって泣くようなエモさがあったんです。とにかく熱量が高くて、僕も思わず涙したことがあったほど(笑)。

──どんなシチュエーションで涙したのでしょうか?

鶴岡 全社集会では、社員同士でお互いの仕事や生き方について質問し合うという場が設けられていて、自分の仕事や生き方を深く知るきっかけになったんですね。なんだかそれに感動して(笑)。

藤井 濱渦社長の感動が、みんなに伝播していたというのもありますよね。

鶴岡 ありますね。家族も呼んで開催した5周年パーティーのときは、社長が家族向けのメッセージを泣きながらスピーチしていて、つられて涙する人がたくさんいましたから(笑)。

成長がすべてを癒す

──創業時から参画している守屋さんは、カルチャーを作ってきた側だと思います。どんなカルチャーが印象的ですか?

守屋 僕の会社の社是にもしているのですが、「成長がすべてを癒す」という言葉です。

アラタナはスマートでかっこいいIT企業ではなく、もともとは全社集会にも家族を呼んで、みんなで「頑張ったね」と言いながら抱き合うような、地方の芋っぽさがある会社でした。

でも、会社や事業の成長とともに人の要件は変わります。すると、打ち出すメッセージやカルチャーも変化し始めたんですね。

地方企業の芋っぽさはありつつも、年代によって少しずつ変わるカルチャーに対応するのは大変だし、僕の中で葛藤もありました。でも、自分の気持ちや働き方を変えたら楽しく働けると気づいたとき、心の成長を実感できたんです。

そのときに、ストンと腹落ちした言葉が「成長がすべてを癒す」でした。

会社は生き物だから大変なこともたくさんあります。だけどそれらはすべて成長痛。乗り越える度に成長し、その成長が大変だった思いを癒して、次のステップに進めるようになる。

濱渦さんからもらった「成長はすべてを癒す」という言葉は、僕のベースになりました。

農業にも、アラタナで学んだことが生きる

──アラタナ卒業後のキャリアを教えてください。

鶴岡 僕はアラタナを卒業後、地元・大分県に戻ってイジゲン株式会社を創業しました。主に、経営課題・新規事業をデジタルでサポートするDXサービス「DX STUDIO」を提供しており、クライアントの新規事業を企画から運用まで伴走しています。

「イジゲン」という社名には、リアルとバーチャルの垣根をなくし、新しい世界=異次元を生み出すという意味を込めました。

今でもアラタナで学んだことがそのまま生きていて、特に細部へのこだわりと、個性を大切にして社員一人ひとりを大事にする文化は継承しています。

藤井 僕はアラタナを卒業後、ベンチャー企業のホテル事業に携わった後に実家の農業を継ぎました。

本当は、60代くらいのリタイア後に農家を継ごうと思っていたけれど、想像していなかったキャリアを選択することにワクワクしたんです。今は宮崎で焼酎の原料になるさつまいもと、ピーマン、紅はるかを栽培しています。

アラタナでの経験があって良かったと思うのは、「失敗を恐れてチャレンジしないことが一番のリスク」という考え方を持てるようになったこと。どんなことにもチャレンジさせてもらっていたから、失敗を恐れず挑戦できるんですね。

実際、今年は自分の直感を信じて、かなりたくさんの挑戦をして、たくさん失敗しました(笑)。でも、挑戦しなければ良かったと思うことは一つもありません。

これからやるべきは、僕はなぜ農業をやるのか、どんな農業をやりたいのかをしっかりと考えて、情熱を持って周りの人に伝えていくこと。それが人を巻き込み、事業を成長させる原動力になる。これも、アラタナでの学びの一つです。

──守屋さんは、アラタナがZOZOに買収された2020年に起業されたのでしょうか?

守屋 いえ、ZOZOグループに参画後の2018年に、副業として会社を設立しました。2020年に、アラタナが吸収合併されて法人格がなくなったことを機に、僕も自分のアラタナの物語を終えようと卒業し、自分の事業に専念し始めました。

鶴岡 かっこいいですね。

守屋 現在は、「イノホイドットコム」と「働く現場のECサイト リファクトリー」の2サイトを運営しながら町工場のDXに貢献しています。実は、従業員の8割がアラタナ出身者なんです(笑)。

──それだけアラタナ出身者が集まる背景には、同じカルチャーで切磋琢磨してきた実績があるからでしょうね。

守屋 そうですね。信頼できる同僚だから、というのはあると思います。でもそれだけでなく、安心して子育てができる、年齢を重ねても活躍できるような、宮崎で一番働きやすい会社にしたいと思っています。

今は無き「アラタナ」の良さを未来に継承

──アラタナは、隠れた人材輩出企業だと伺いました。実際、アラタナ出身の起業家は多いですか?

守屋 多いと思います。社員番号は約300番まであって、そのうち10%以上は起業しました。多くの人が宮崎や九州界隈に会社を作っていますよ。

──宮崎の地方企業だったアラタナが、起業家を輩出しているのは面白いですね。

守屋 失敗を恐れず何にでもチャレンジさせてくれる会社だったから、その経験が起業につながっているのだと思います。成功するまで失敗じゃないと言われて育ちましたから。

それに、宮崎でも東京と同じように全国から優秀な人材を集められることを体験したから、地元での起業に抵抗がなくなったというのもあるかもしれません。

たとえば、僕は地元・宮崎県で起業しましたが、それが特にハンデにはならないんです。インターネットで全国各地の企業と取引ができるから、クライアントの9割以上が東京の会社。ビジネスの拠点はどこに置いてもほとんど関係ありません

むしろ、地方は東京に比べて家賃や物価水準が低いから、僕のオフィスも200坪で家賃は30万円。そのぶん全国各地の優秀人材を採用するためのコストに充てられるのはメリットだと思っています。

採用される側も、家賃と物価の安さを考えたら、東京で働くより豊かな生活ができるし、出社を強制しない働き方を提供すれば、幸せな生き方にもつながりますよね。

それもアラタナが実践していたことで、東京で人気のIT企業が求めるようなスキルセットを持つ人材を採用するために、いろんな切り口で全国から優秀な人を集めていました。

鶴岡 たしかに、僕がいた研究所は、入社当時からフルフレックスで自由な働き方ができました。全国から一流のビジネスパーソンがひっきりなしに訪れ、事業に関わるケースはよくありましたね。

──地方企業でありながら、日本全国から優秀な人材を採用していた。アラタナは先進的な採用をしていたのですね。

守屋 そうだと思います。事業は人で成長するから、経営陣が採用戦略を必死に考えて、とにかく人材に投資していました。

藤井 すごく人を大切にする会社でしたよね。

鶴岡 人を大切にするし、お互いをリスペクトして讃える文化もあって、とにかく人間中心の会社だったと思います。

守屋 それが地方企業の芋っぽさにつながっていたかもしれないけれど(笑)、「なんかこの会社いいかも」と思わせるメッセージにもなっていましたよね。

人たらしで感動屋の濱渦社長率いる、エモい会社・アラタナは無くなってしまったけれど、僕らはアラタナの良さをしっかりと継承し、アラタナのような素敵な会社を作りたい。

アラタナが成長していく過程に携われたこと、経営者と近い距離で仕事をさせてもらったこと、そして解散時まで共に歴史を紡げたことは、僕らの大切な財産です。

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取材・執筆:田村朋美
撮影:國武香

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