【日野昌暢】「東京で出世」だけが正解か? “地方で戦う”幸福なキャリア

二拠点生活、リモート複業など、場所や時間を超えて「働く」ことが可能になった現在。大都市に住んでハイキャリアを追求する価値観から離れ、より広いフィールドで自らの価値を発揮する人が増え始めている。挑戦者はなぜ「地方」で戦うのか。「地方で働くこと」はどんな意味を持つのか。博報堂ケトルのチーフプロデューサーで、地域に自らの活躍フィールドを切り開く日野昌暢氏に話を聞いた。

日野昌暢/博報堂ケトル チーフプロデューサー
1975年福岡県生まれ。2000年博報堂入社。営業職として14年間、飲料、食品、トイレタリー、通信など、様々な得意先を歴任後、2014年よりケトル加入。ローカルプロモーションを得意とする通称”ローカルおじさん”。受賞歴に、ACC TOKYO CREATIVITY AWARD グランプリ、Spikes Asia ゴールド、カンヌライオンズ ブロンズ、ADFEST ゴールドなど。

地方に足りないのは発信力とアーカイブ力

─日野さんは、各地でさまざまなプロジェクトを立ち上げる「ローカルおじさん」と呼ばれていますが、そのきっかけを教えてください。

僕は2000年に博報堂に入社し、故郷・福岡に貢献したい思いから、2005年に希望して九州支社に異動しました。でも当時の僕は力不足で、地元に対して何もできないまま、3年後に東京に戻るという悔しい経験をしたんです。

それから数年が経ち、2014年に博報堂ケトルに移籍。そこで関わったのが、「福岡がIT・クリエイティブビジネスの集積地であることを発信したい」というテーマの、福岡市のコンペでした。

当時から福岡市は盛り上がっていたので、盛り上がりの源泉を紐解くために、地元の知り合いを通じて取材を開始。するとわかってきたのが、福岡市には面白いプレイヤーがたくさんいて、彼ら彼女らがつながってコミュニティを作り、その“うごめき”が街を作っていることでした。

そこで、福岡市の“うごめき”を記事にして、アーカイブしましょうと提案し、福岡市のWebメディア「#FUKUOKA(ハッシュフクオカ)を立ち上げました。これが“ローカルおじさん”としての第一歩です。

「#FUKUOKA」で取材をするうちに、面白いことをしている人は福岡市内だけでも想像以上にたくさんいるけど、Webメディアがないことでうごめきの正体が外から見えにくいということが、4年半の運営で見えてきました。

その感覚をもとに、九州を一つの島と捉えた方が可能性は広がるのではないかと考え、「九州のいいヒト、いいコト、いいシゴト」を探し出し、全国に届けるメディア「Qualities(クオリティーズ)を、今度は民間主導で作りました。

─地域に入り込んだからこそ生まれたメディアですね。その狙いを教えてください。 

九州に限らず、地方には「情報発信力」と「情報アーカイブ力」が弱いという課題が常にあります。Webメディアを継続的に成立させることができれば、九州で面白いことをしている人同士がお互いを知ってつながるきっかけになるはず。

つながりの輪が広がって、九州に興味を持つ人たちの受け皿になれたら、東京一極集中の是正に寄与できるかもしれないですよね。

実際、東京で働く人が九州に関わりたい、いつか地元に戻りたいと思っても、戻る先はなかなか見つけられません。加えて、東京で培った力を持って、何をすればいいのか、どんなことができるのかも想像できない。Webで出てくる情報がないからです。

だから、戻る先になるような会社や仕事、QOL(Quality of Life)の高い人たちの生き方をしっかり取材してWebにアーカイブして行くことで、九州で生きることをイメージできれば、地域の活性化は加速するのではないかと考えました。

地方は自分の存在価値を最大化できる

─地方には仕事がない、給与が下がるという現実的な問題もありますが、どんな人が地方に行くべきだと思いますか?

外の人の役割は、地域で面白いことをしている人や頑張っている人をつないで相乗効果を生み出すことだと思うので、人が好きでパブリックマインドを持つ人こそ地方に行って欲しいですね。

給与に関してはおっしゃる通り、東京に比べると下がるのは事実。でも、ビジネス一辺倒で東京一極集中の加速にみんなが加担した結果、地方は衰退の道を進むことになったわけです。

日本の人口約1億2000万人のうち、関東圏に住むのは約4000万人で、人口の3分の2に当たる約8000万人が関東以外に住んでいます。その多くの人たちが元気を失っているならば、一極集中の東京で富を分かち合うよりも、地方を元気にする方が余地は大きい。

それに、東京では多くのプレイヤーの中の一人に過ぎなかった人が、地方に行くと中心プレイヤーになった、なんて話もよく聞きます。つまり、東京では埋もれてしまうような、でもちゃんと価値のあるスキルを、地域で発揮することで自分の存在価値を最大化できる可能性があると思います。

だから、東京で培った知恵やスキル、経験を地方に投じて、地方を元気にすることを楽しそうだと思える人は、向いていると思いますよ。

─自分の存在価値は地方で高まる。地方で働くことはキャリアの武器になりそうです。日野さんは、地方と関わるようになって人生が変わりましたか?

それはもう、めちゃくちゃ変わりました。

たとえば、群馬県高崎市で企画した「絶メシリスト」というローカル特化型グルメサービスが、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSなどさまざまなアワードで受賞したことで、僕の話を聞いてくれる人が圧倒的に増えたんです。

「絶メシリスト」は、高齢化や後継ぎ問題などで消滅を余儀なくされている、“絶やすには惜しすぎる絶品グルメ”を紹介するメディア。絶メシ店の紹介だけでなく、後継者やインターン生も募集して、根本的な課題解決を目指しています。

この“絶メシ店問題”は、日本の社会課題が招いた現象で、高崎市だけの問題ではありません。古き良き絶メシ店を絶やすまいと、今この活動は全国各地に広がっていますよ。

地域の人たちをつなげることが、街の未来を作る

─日野さんは、どんな思いで地方と向き合っているのでしょうか。

継続性があって、街の未来の変化につながることを考えるお手伝いをしたいと思って活動を続けています。

たとえば、2021年に立ち上げた、宮崎のスナックを紹介するメディア「スナックアドバイザー

宮崎は「人口あたりのスナックの数が日本一」という調査結果があったんですが、他の地域のスナックとも一味違う魅力的なスナックがたくさんあるのに、それが宮崎の人以外には知られていません。

これを知る手立てがないのは勿体ない、メディアを作るといいんじゃないか? なんて話していた「Qualities」のライターさんが「実は、地元の宮崎に戻って自分もいつかスナックを作りたいと思っている」と言っていたんですね。

それなら一緒にスナックを作ってメディアを作ろう、スナックがスナックを紹介していくモデルを作ろうと、「スナック入り口」という、スナックアドバイザーの編集部を兼ねたスナックを作りました。

現在、そのライターさんはスナック入り口のママとして、他のスナックのママの人生を取材しながら、スナックアドバイザーで情報を発信しています。

ほかにも、「広島を世界一おいしく牡蠣を食べられる街へ」をスローガンに、広島に「牡蠣食う研」という組織を立ち上げました。

広島は牡蠣の生産量ナンバーワンの生産地ですが、広島県民にとって牡蠣は身近すぎて「家で食べるもの」なんです。だから、観光客が外で牡蠣を食べられる場所というのが思っているより多くないことに気づきました。広島に行ったら美味しい牡蠣を食べたいですよね。

─食べたいです。

そこで、牡蠣の生産者や料理人、バーテンダー、地元メディアなど、牡蠣経済圏にいるいろんな人と話をしてつなぎ、”牡蠣食う研”を発足しました。

今も、牡蠣食う研のコミュニティはメンバーを増やしながら、牡蠣を美味しく食べるための研究とその結果を、オウンドメディアやSNSで発信されています。

2つに共通しているのは、外の人である僕が主役になるのではなく、地域の人たちが主役になって自走していけるかたちを考えること。これが地域活性の重要なポイントだと思っています。

地域のキーマンに飛び込んでみる

─日野さんのように、地域に貢献するキャリアを歩みたいと思ったとき、どのように地域に入っていけばいいのでしょうか。

どの地域にも面白いことをしているキーマンがいて、その人が外と内側をつなぐ活動をしています。まずは、今いる場所からでもキーマンとつながってみるのがいいと思いますよ。

東京で埋もれているより、地方と関わった方がチャンスを得やすいので、キャリアの観点でもプラスでしかないでしょう。

もちろん、いきなり移住してビジネスを始められる人はどんどん挑戦したらいいと思います。だけど、地域のことを理解せずにズカズカと踏み込んでいくのはNG。

大切なのは、地方で覚悟を持って事業を営む人たちをリスペクトすること。「この人は地域を裏切らない人だ」と認識されてはじめて、ご一緒させてもらえるものだと思っています。

僕の場合は、博報堂ケトルに在籍する“情報発信のプロ”として、どんな小さな相談にも答えることから始めました。つまり、最初からビジネスを持ち込まなかった。

なぜなら、東京で働いていた僕の経験や知恵がローカルの小さな悩みに応えられるのか、純粋に興味があったのと、悩みに応えていくことは、僕のパフォーマンスを高めるための筋トレになるから。

そんな思いで続けていたら、いつの間にか仕事として依頼されるようになりました。

会社で出世することだけが、本当に幸せな人生か

─地方で築くキャリアはこれから増えていくと思いますか?

コロナ禍でローカルでの生活に興味を持つ人も増えたと感じますし、大量生産・大量消費の時代を懐疑的に思う人も増えていると感じます。その社会の集積地である東京を変えるのは至難の業。でも、ローカルなら小さなチャレンジからのオルタナティブを作りやすいですよね。

それに、東京でいつ外されるかわからない出世の階段を登り続ける人生よりも、地域の人を巻き込んで世の中を良くしていくための挑戦をする人生の方が、何倍も楽しいと僕は思ってるところはあります。

もちろん、地方に飛び込んで、すぐに稼げるようになるわけではありません。大変なこともたくさんあると思います。それでも、仲間を増やしながら少しずつ事業を回していけば、10年後には地域の資産を生かせるようになるはず。

何より、地方に関わると自分が何者なのかがはっきりするので、自分らしく生きていけると思いますよ。

─自分らしく生きる。これからのキャリアのキーワードですね。日野さんは、これからどんなことに取り組みたいですか?

いろんな場所に行って、地域で頑張る人たちを主役にしながら、世の中の役に立ちたいと考えています。それが、僕にとっての幸せな生き方であり働き方

そして、いつかは僕も主役になれるような街を作ってその土地に根ざし、地域の人たちと一緒に幸せに生きていけたら、本当に素敵だなと思っています。

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執筆:田村朋美
編集:呉琢磨
撮影:小池大介