【ワンキャリア・寺口浩大】純粋であることをあきらめない、バカ正直な男の挫折と希望

現在、活躍する人の過去に大きな挫折が隠されていることがある。ワンキャリアの寺口浩大氏も、順風満帆とは言い難いキャリアを歩んできたひとりだ。 自身の人格である「個人」と企業の中で形成される「組織人」という人格の間で、惑い、もがいた寺口氏はいかにして、今のキャリアを築いたのか。 本記事では寺口氏のキャリアを振り返りながら、それを形成するに至った「9」のファクターをビジネスモデルキャンバス、ならぬキャリアモデルキャンバスで解き明かす。

寺口 浩大(てらぐち こうだい)/株式会社ワンキャリア Evangelist

兵庫県生まれ。京都大学卒業。リーマンショック直後、三井住友銀行に入行。企業再生、M&A関連の業務に従事したのち、デロイトで人材育成支援に携わる。現在、株式会社ワンキャリアでEvangelistとして活動。2021年6月にリリースされた「ONE CAREER PLUS」において、はたらく人の「新しい地図」をつくるプロジェクトを進めている。

「今、頑張ったら将来は楽できるよ」は本当か?

13歳、私立の中高一貫校に進学した僕は、兵庫県から奈良県まで通勤ラッシュの中、2時間かけて通っていました。クタクタのスーツを着て疲れ切った表情の会社員に囲まれて、「僕も将来こうなるのか」と想像すると、恐ろしくて仕方ありませんでした。

学校では、先生が「今、頑張ったら将来は楽できるよ」と語りかけます。しかし、その言葉に僕はどうしても納得することができませんでした。電車の中の大人たちを思い出し、「僕は今、我慢を続けてきたなれの果てを見てきたんだよ」と心の中で呟いていたのです。

「今したいことを我慢すること」に僕は違和感を抱き続けてきました。もとをたどれば、幼稚園の頃にまで遡ります。僕が通っていたのは、モンテッソーリ教育というイタリア発祥の教育法を実践する幼稚園でした。自主性を重んじ、子どもの意思や可能性をつぶさない教育方針で、「何で遊びたい?」「何が好き?」と僕の意思を一番大切にしてくれました。

そういう幼稚園で育ったため、小学校に入って驚きました。机が整然と並び、決まった時間割で授業を受ける。何をするにも子どもに選択の余地がなく、窮屈。そしてその窮屈さは中高になっても変わることはありませんでした。

子どもの頃から今まで僕が求め続けていることは「自由」なのだと思います。そして、自由とは「選択肢があること」とも言い換えられます。

お金を稼ぐことも、僕にとっては選択肢を狭めないための1つの手段。そして、それまでまったくと言っていいほど勉強していなかった僕が猛勉強の末に京都大学へ進学したのも、選択肢を広げておきたいと考えたからでした。

絶対に受かると思っていた、第一志望からの不採用通知

僕は単純な作業を繰り返したり、きちんと書類を揃えて手続きすることが大の苦手。というか、本当にできない。そんな自分の存在に対する劣等感のようなものをずっと抱えて生きてきました。

一方で、自分の才能に対してはどこか自信があって。自分にも天から与えられた才能があるはずだ。それを証明しなければいけないという想いも同時に強く抱いていました。

そんな僕に大学3年生時の就活で、最初の挫折が訪れます。

僕は大学でテニスサークルに所属していたのですが、当時京大のテニサー出身者は就職活動で思い通りの就職先に内定していました。地頭が良くて、それでいてコミュ力も高いという印象なのでしょう。先輩たちは5個も10個も内定をもらって「どこにしようかな」なんて状況でした。

リーマンショックは僕にとって大きなきっかけでした。多くの企業が採用を辞めたり抑えたりして、自分たちの番になってみると当たり前のようにエントリーシート落ちもするし、どうも勝手が違う。

僕は教室でもサークルでもムードメーカーだったから、つぎは社会のムードメイキングをしたいという思いから広告代理店を志望していました。しかし、絶対に受かると信じていた広告代理店には、あえなく不採用。 やりたいことができないなら、いっそのこと一番苦手なことをやろう。昔から苦手だった事務手続きを克服しよう。そう思った僕はギリギリ拾ってくれた都市銀行に入行しました。

「組織人」と「個人」の対立からアイデンティティ崩壊

広告代理店への夢に破れた僕にとって、銀行への就職は自分の中では敗北でした。なんとなくカッコよくない気がして、入社式も楽しみに思えませんでした。

強く覚えているのが、入社後の研修で先々のキャリアプランを発表したとき。みんなは「未来の頭取になります」なんて言うのだけれど、僕はどうしても自分が思ってもいないことを言えなくて。「まずは早寝早起き」と言いました。

目立ちたかったわけでもウケ狙いでもなくて、ここで一度嘘をついてしまったら、すべてがこの先おかしくなっていきそうな気がしたのです。

でも結局、僕は入社後に思ってもないことをたくさん言うことになります。自分への嘘を重ねた結果、とうとう自分の本当の気持ちさえわからなくなりました。

果てにはアイデンティティー・クライシスという心理的な危機状態に陥り、電車の中で突然倒れます。心と言動・行動の不一致により、ストレス過多となり知らないうちに心身が蝕まれていたのでした。

当時、僕は企業調査部という社内では花形と言われていた部署に在籍していました。経営幹部向けの報告などの仕事も多く、つぎは誰が役員になるかなどの話が多かったです。僕はどうしてもその部署の会話や空気に馴染むことができませんでした。

今振り返ると、周囲の人は「悪い人」ではなかったと思います。ただ、個人でいるときは「いい人」でも、会社の組織の一部となった途端に利己性や過剰な攻撃性といった人間の負の部分が出てきてしまうことがあることは感じていました。

僕はこれを個人と企業の間にある「組織人」という人格だと考えています。現代の日本社会では、「個人」の意識を捨て、会社の色に染まった「組織人」となる者が評価される傾向がまだ強い。その一方で、はたらく人たちの「個人」としての自由や尊厳はどんどん失われていきます。

しかし、「個人」と「組織人」との間にズレがあるままでは、本当の意味で自分らしく働くことは実現できないと思います。少なくとも、僕はそのズレに苦しみ抜きました

倒れた後、休職期間を経て新たな部署で復職したものの、その先がどうしても見えなかった僕は退職することを決意します。

最後の転職で定めた3つの基準

銀行を退職した後、20代後半までに僕は2回の転職を経験します。

2社目ではかつて希望していたけれど叶わなかった広告業界の仕事に挑戦しますが、勝手に抱いた自身の理想と現実のギャップに疲弊し、短期間で再び転職しました。

3社目では仕事自体は好きだったものの、また「個人」と「組織人」とのギャップが大きくひらく感覚を持ち、再び絶望。

しかし、20代後半でもう3社目。職を転々としてきた自分にもう選択肢はないのではないかという恐怖と、収入に対する不安から会社に不満を持ちつつも辞められない時期が続きました。陰で不満を言いながら、辞める勇気もない自分のことをどんどん嫌いになっていったことを覚えています。

「これが最後だな」と思い、はじめた転職活動。20代の自分の仕事選び、会社選びに課題を感じていた僕は、再就職先を探す中で、3つの基準を明確化させました。

1つめは、はたらく人として尊敬できる人たちがいること。仕事自体は好きだったけれど組織での人間関係に行き詰まっていた僕は、巡り巡って転職先の「人」を重視することにしました。

2つめは、ビジネスモデルが強いこと。その「人」が嫉妬をしたり、奪い合いをするようになるのは事業の成長性に限りがあるから。そこで事業のビジネスモデルにも着目するようになります。

3つめは、企業文化に自分を合わせるのではなく、自分自身が企業文化を創る立場になれるフェーズの組織であることです。これまでカルチャーフィットというものができなかった僕は、僕みたいな人間も含めて多様な個性が受容されるカルチャーをこれからつくる側にいたいと考えたのです。

そこで出会ったのが今も働くワンキャリアでした。

当時のワンキャリアはまだ十数人のスタートアップ。面接も4名の役員が担当していました。面接というよりは「対話」でしたが、しっかりと時間をかけて納得できるまで話し合わせてもらいました。

なんとなく、面接を担当してくれた4名の「におい」が好きだなと感じた僕は、「最後」になるかもしれない転職先をワンキャリアに決めることにしたのです。

あきらめかけた自分を、会社はあきらめてくれなかった

これまで僕が所属していたのは比較的大きな企業。1社目ではM&Aに関わる大きな案件も担当したけれど、結局は誰かが整えてくれた環境で、与えられた作業をやっていただけです。

覚悟はしていたつもりだけれど、1から10まで全部自分でやらなければならないスタートアップの仕事とは想像以上に大きなギャップがありました。

特に元から苦手だった見積・請求などの事務作業では会社に迷惑をかけました。書類を見るだけで、なぜか脳がストップしてしまうんです。いわゆる「当たり前のこと」ができなさ過ぎる自分がショックで、途中から周囲に相談することすら怖くなりました。

一度、1on1で副社長から「社内で一番バリューが低いのも、期待値と現実のギャップが大きいのも寺口さんです」と言われたことがありました。

今思えば副社長の愛だったんです。でも、当時は本当にきつくて、自分が尊敬する人たちの足手まといになっていることが情けなくて、一刻も早く逃げ出したいと思っていました。

そんなときです。僕の小さく丸まった背中を見て、社長が「寺口さん、得意なことだけやりましょう」と言葉をかけてくれました。

当時、僕は全然仕事ができなかったけれど、人事の方と仲良くなることは多かった。「寺口さん、おもしろいねぇ!」と言ってもらう中で関係性が深まり、自然と商談につながるケースもしばしばあったのです。

「一度既存のクライアントの担当はすべて外すから、新規を担当してください」。そんな感じで、チャンスをもらったんです。

そこから僕はとにかく一点突破。営業するという感じでもなく、とにかくいろいろな場所に出かけて、いろいろな人と仲良くなりました。ただひとつ、サービスの話は聞かれるまでしないと決めていました。

1人1人をリスペクトしながら向き合っていると、次第に「こいつ面白いんですよ」と、人が人を紹介してくれるようになりました。人材会社の営業としてではなく、人として信頼をしてもらえるようになったのかなと思います。

その中で、人事の方々から組織のこと採用のことを教えてもらいましたし、僕も好きな人たちに何か喜んでもらえることを話したいと思って勉強する日々を過ごしました。

そんな人のつながりが大きくなっていって、今ではウェビナーを開催すると100人もの聴講者が集まるように。また、SNSでは個人として自分の心の内を発信し、それに共感し応援してくださる人も増えています。

きっかけは社長の「得意なことだけやりましょう」という言葉。あのとき、僕は自分のことを、そして自らの才能をあきらめかけていました。でも社長が、そして当時のワンキャリアのスタッフが僕をあきらめてくれなかった

新卒から4社目。初めて、はたらいているときも自分らしくいていいのだと思える出来事でした。

これからキャリアを築いていく方たちには、できれば僕と同じ苦しみは味わってほしくありません。「自分には才能がある」と信じ抜き、それを発揮できる場と出会えるようになってほしいです。

人の数だけ、キャリアをつくる。ワンキャリアが掲げているミッションです。今は、ONE CAREER PLUSで、はたらく人たちが、自分らしいキャリア選択ができるように、キャリアの地図をつくっています。

はたらく人が、それぞれの才能をいかせる会社や仕事を自分で見つけられる。そんな社会にできるよう、これからも活動を続けていきたいと思っています。

寺口浩大のキャリアモデルキャンバス

子ども時代に感じた不自由さや仕事での挫折を経て、現在はワンキャリアで自身の才能を開花させた寺口氏。同氏のキャリアを構成する要素はどのようなものだろうか。

Value ─キャリアを通じて提供したい価値は?─
自由であり続けること

「自由とは選べることだと思います。だからそのためにできる限りをする。自由であり続けた「僕」というサンプルが結果的に不自由な誰かの希望になっていたら嬉しいです」

Customer Segment ─誰の役に立ちたい?─
→純粋でいることを諦めていない人たち

「社会には、不器用だといわれても自分のスタイルや信念を曲げずに純粋さを持ち続けている方々がいます。もっと違うやり方をすれば得をしたり自分の地位が上がったりするのにそれをしない。もしくは、できない。僕はそういう人たちを応援したいです」

Key Activity ─キャリアを通じて行っている行動や活動は?─
→近くの人を大事にする

「すぐ近くの人を大事にしたいです。仕事においても、本当に信頼できる数人との関係が幾重にも広がって次の成果や仕事に結びつきますよね。目の前にいる人に対して真摯に向き合うことでの繰り返しでしか、次のステップに進むことはできないと思います」

Customer Relationship ─周囲の人とどう接する?─
→自分を偽って見せない

「自分のために嘘をつかないように気を付けています。人に嘘をつくことは、自分に対しても正直でいられなかったという意味で自身も傷つけることになります。きちんと言葉を選び、率直に話すことを心がけています」

Key Resource ─原動力となる能力やスキルは?─
→あきらめの悪さ

「これまでに何度挫折を繰り返しても、『自分には才能があるのだ』と信じ続けてきました。その才能を証明することで自分自身が救われると信じていたので、挫折の度に立ち直り、やり直すということを繰り返してこられたのです」

Channel  ─自らの考えをどう届けている?─
→抽象度に差をつけて発信する

「自分が思ったことを発信する時に、相手によって伝える内容や趣旨を変えることはしません。変えるのは抽象度です。例えば、誰もが見るオープンなメディアでは、受け手が多い分、伝えた内容にバイアスがかかりやすいため、意図的に抽象度を高めます。一方で、自分をよく理解してくれる近くの人に対してはなるべく具体で話し、より深度の深い話ができるようにします」

Key Partner ─自身のキャリアの重要な協力者は?─
→「マテリアル」の関航さん

「就活ヘアに関するブランドキャンペーンに関わったのですが、その際にパブリックリレーションズの魅力を教えてくれた人です。採用とパブリックリレーションズの関係が注目されている中で、関さんとの出会いによりブランドやPRに対する解像度が高まりました。その結果、人事の方と話す内容に厚みが増したと思います」

Cost ─キャリアのために投資していること、犠牲にしていることは?─
→肺(笑)

「多少比喩的な答えですが、タバコを吸うときの時間が僕にとって非常に大事なのです。生物学的に生き永らえる時間よりも、今をいかに感情に正直に、心地よく生きているかが大切。その蓄積として未来があるのだと思っています」

Reward ─あなたは働くことを通じてお金のほかにどんな報酬を得たい?─
→生きている実感

「何かを創り出すプロセスやその成果を示す場において、感情が揺さぶられることを大事にしています。自分以外の人生と少しでもシンクロすることができた時は、自分の存在や才能を肯定できた気持ちになり、生きている実感が湧きます。その感覚こそが何物にも代えがたい報酬ですし、それを得るために日々頑張っています」


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編集:野垣映ニ(ベリーマン)
執筆:佐藤智
撮影:湯浅亨